立夏 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2003/05/06 (Tue)YAHOOブログから

 

二十四節気(陰暦の季節の区分)の一つ。

 

暦の上では今日から夏になる。

 

俳句の季語では、夏に入る、夏立つ、今朝の夏、夏来る、と言い表す。

 

この頃のなると、、目に青葉、山不如帰、初鰹、ということで

江戸時代の人々は先を争うように、鰹を食べた自慢をしたそうだ。

 

しかし、実際には、今頃の鰹は、まだまだ、脂の乗りも悪く

それほど美味しいものではない。

 

そしてまた、目に青葉、という句も

作者、山口素堂(1642~1716)が書いたものは

『目には青葉山郭公初松魚』という内容である。

 

目には青葉、では、字余りであり

郭公(ほととぎす)と、松魚(かつお)は季重なりだ。

 

所謂、旬ではない、走りの魚を食べることに

江戸っ子としての美学が有ったのかも知れないが

この、素堂の句は

単に平賀源内の土用の鰻と同じ効能をしめすためのコピーであったのかもしれない

とも、思える。

 

そう思えば、芭蕉の弟子である素堂の、季重ねや、字余りの俳句も納得がいく。

 

吉田兼好は、徒然草、百十九段に、

鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひにはさうなきものにて

この頃もてなすものなり。

 

それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、

「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。

頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。

 

と、書いている。

 

いずれにしても、江戸時代の庶民にとっては

初鰹を食べることは、女房を質に入れるより、重要なことでもあったようだ。

 

1813(文化十)年、三代目坂東三津五郎は

中村座の舞台の上で松魚(鰹)売りの口上をし、踊ったと書かれた本が手元にある。

 

その口上は

 

眼に青葉山時鳥てっぺんかけて、松魚松魚と売り声もいさみ肌なる中ツ腹

五十五貫も何のその、河岸の相場は半分でも、まけぬ江戸ツこ、

水道の水に洗ひあげたるいけだての生ていでもの、店先の算盤つくならよしなんし、

ぶりばんどうさん、そんなその鉢巻させるじゃごんしない、

しらのきをひの兄さんを見損なったか闇雲に、高くとまった御堂の烏、

見えも飾も瓢箪も、ねぎっちゃいけないさげ銭で、

これでも晩にゃお客さん、ひやかし数の子の音がすりゃ、長屋のあねごが飛で出る、

てふてふかんざし三つ大に打替させたぐいきまり好たきおひじゃないかいな、

なんの男百貫せいだせそこだ、商大事、得意旦那は八百八町、八千八声時鳥、

初といふ字をいさみにて松魚松魚と走り行く。

 

というもの。

 

肺活量のある方は一気に読まれてもよいが

そのあとどうにかなられても、責任は負いません。

 

まあ、なんでもセッカチで、古川柳に、江戸っ子の産声は

おきゃがれと泣き

とあるのだから

 

立夏とはいえ、これからやってくる梅雨寒などを無視して

夏が来た、鰹を食わなきゃいけネエや、というのは、強ち外れでもないと思う。

 

しかし、私は濱っ子であるので、鰹はやっぱり、戻りの、脂が乗った時期に

タタキで食するのが好いと思う。

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今年の立夏は五月五日

今日は既に夏の領域にあるようだ

 

鰹はスズキ属サバ科の魚だから、柵で買ってくると生きがよくないように思えて

寿司屋を営む義兄から魚市場で一本買って来て貰って

自分で下ろして作っていたが

娘と二人暮らしに一本の鰹は無理がある

 

そんな理由から最近は寿司屋で数切れ食べるほどで

大蒜や生姜や辛子の効いたたたきを食べることなない

 

杜鵑の声はよく聴くのだが