端午の節句 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

五月五日は子どもの日

別名を端午の節句という

 

日本では奈良時代の武家社会に始まるとされている

 

この端午の節句とは中国の春秋時代の疎の政治家屈原が

秦の張儀の策略を見抜いて懐王に進言するが

かえって謀反人として都を追われ、世を儚んで長江の支流の湘江に

身を投じてしまい、その弟子たちが屈原の体が魚に啄まれないように

竹の筒に入れたお強(おこわ)を撒いたという言い伝えから始まっているとか

 

屈原が湘江の畔を歩いていると、一人の漁夫に出会い

己が宿命を嘆くと

 

漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、

滄浪之水清兮  可以濯吾纓

滄浪之水濁兮  可以濯吾足

遂去、不復与言。

 

漁夫は微笑みを浮かべて

滄浪の水が澄んでいるのなら、冠の紐を洗おう。

滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。

と言って去って行った

全ては大河の流れのいっときに過ぎない

と、当時の新聞記者らしい人の詩が残っている

 

端午節とする旧暦五月五日、現在の暦で六月十日ごろには

お強が撒かれたのちは、船の舳先にドラゴンをあしらった舟に乗り

太鼓などを叩きながら魚を追い払うという言い伝えから

ドラゴンレースなるものが行われるとか

 

横浜の山下公園でも確かレースが行われていたと思うが

今などうなのだろう

 

日本の端午の節句は武家の時代に武家の男児が健やかに逞しく育つよう

鯉の滝登りに真似た鯉のぼりを作り、春風に泳がせ、兜を飾る

 

今は知らないが、私が若い頃は、息子は父の里、娘は母の里が祝いをするとして

息子には夫の実家から鯉の吹き流しと

夫の義兄と義弟がお金を出し合って、息子が被れるほどの立派な兜を贈って貰った

 

兜の方は家の中に飾るのだから問題は無いのだが

狭い庭に鯉は無理で家の中に飾ったのだが

如何せん大きすぎて狭い水槽で暮らす鮒みたいになったので

知人に頼んで当時町おこしのために鯉を集めていた土地に届けて貰った

 

当時の義兄によると鯉は、7,5,3mが基準で、みんなで話すうちに

義父がきっと驚くだろうから一番大きいものをと言い出したとか

 

お握りを大きくする義母と義父は確かに夫婦だったと、今しみじみと思う

 

因みに五月五日に入る菖蒲湯は

元は中国の家の軒に蓬と菖蒲の葉の匂いで

流行り病が家に入ってこないようにしていたものを、

丁度五月中頃がその流行り病の多くなり時期で邪気を払うために

用いたのが始まりという話を30年くらい前にものの本で読んだことが有る

 

日本の端午の節句と微妙に違う中国の端午節は今の暦では6月10日ごろになるとか

2024年は三連休になるとあった

 

ところで、童謡のせいくらべに、ちまき食べ食べ、とあるが

この場合の粽は中国の粽か、鹿児島県等の灰汁巻きなのか

それとも笹巻か どれなんだろう