今日は1952年に日本の主権が回復されるサンフランシスコ平和条約発効記念日
ということで主権回復の日とされている
それまでは進駐軍の最高司令官により許可が無ければ何人も海外に行くことは
出来なかったのだが、この調印を強く推したマッカーサー氏は本国からの
命令により、隣国の戦争のための指揮官として赴任することになる
マッカーサー氏が日本に来たのは最高司令官を加えて三度目になる
一度目は日露戦争の折りに青年時代に父親の赴任に伴い
二度目は関東大震災の時にフィリピンからの連合艦隊の司令長官として
そして三度目
敗戦国への進駐軍の司令長官として
連合軍にはアメリカの他に中国、イギリス、オーストラリア、カナダ、フランス
オランダ、ニュージーランド、当時英国領のインド、当時米国領のフィリピン
そして今のロシアは兵士を置かず発言権だけを所有していたという
マッカーサーが震災の時に日本に来る時の合言葉、一分が人の命を救う、は
東日本大震災の時の合言葉にもなっていたという話は以前に書いた通り
日本は敗戦国だから当然戦勝国の意見がまかり通る訳で
共産国の意見では日本を二分するという話も出ていたと報じる記者もいたが
マッカーサーが退いたのちのマシュー・バンガー・リッジウエイにより
日本は一つの国として今を迎えている
私が幼い頃から
日本の憲法は他国により決められたという人はいたけれど
それから今日まで戦後70年を過ぎても
明確にこういう形に変えようという人は誰もいない
戦争が終わって10年にも満たない時代に生まれ
戦争に赴いた多くの人や
子どもや夫を戦争に送り出した多くの家族の言葉を聞いて育った私は
確固たる主権のある国 永久に戦争を放棄した国
それがどれほど幸せで貴重な事なのか
それを改めて認識する日でも有って欲しいと思う