遊びをせんとや生まれけんむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば我が身さへこそ揺るがるる
後白河法皇により今でいう巷の流行歌を集めた梁塵秘抄
子ども達が賑やかに遊ぶ声を聞いていると、世の中の平和に安どして
我が身も思わず綻んでしまう
私達が子どもの頃、小学校に入る少し前までは
こどもは風の子、大人は火の子と
真冬でも子どもは外で元気に遊ぶのがよいとされていた
外で遊ぶわけだからゲーム機とかそんなものではなく
有ってせいぜい毛糸であやとり、おはじきにメンコ
ゴム飛び、石けり、おままごと
今の頃なら杉菜で途切れたところを当てたり、車前(おおばこ)で
引張相撲をしたり、白詰草の花を意味なく長く編んでみたり
それも無ければ
蛎殻町のブタやのおつねさんと相手の二の腕を掻いてぶって
手の甲を抓るという遊びや
指先で貧乏大臣おお大臣と占ったり
折り紙使ってあきすとぜねこと恋占いをしたり
林檎箱に座っておしくらまんじゅうをしながら日向ぼっこをしたり
何が可笑しいのかいつも笑い転げていた
ところが米軍の基地の傍にいるときには外でそんな遊びをした記憶は無い
ホッピングで跳んだり、庭に設えた滑り台で滑ったりブランコで遊んだり
あとは笹っ葉を引きずって歩く子に着いていくという
それさえもスクールバスに乗る年頃になると、参加しなくなる
日本の子どものように限界突破した高音で叫ぶ子供もいない
そんなことを思い出すと
日本の昭和に子ども時代を過ごしてよかったとしみじみ思う
もっとも小学三年生になると
一緒に遊んでいる年下の子の面倒をみなければならず
四年生になると家の手伝いをしなければならなかった
子どもが本気で体力を使って遊べる時間はそれほど長くはない
今はその短い時間さえ、近隣の大人たちに遠慮しなければならない
子ども達の運動不足が指摘されるのはそこに問題があるのだと思う
だからと言ってどう解決すればよいのか私にはさっぱり分からないが