2015年に
今でも有名なタレント事務所の創設者への
五時間にもわたるインタビューの記事を読んで
この人は自分の代で
この事務所を終わらせようと思っているんだろうか
と、そんな気がした
この翌年、一組のタレントが解散したが
その事務所の代表とされていたこの人は
噂される解散について、一切望んでいない
寧ろ今後に強く期待していると答えていた
会社に関しては
出勤簿が有る訳でもなく
明文化された契約書が交わされるわけでもなく
来たければ来て、ダンスを習って舞台に立って、と
そして帰りには自腹で数千円、時には一万円を渡す、という
良い意味でも悪い意味でも、昭和の工事現場みたいな
小学校低学年から40代、50代までも所属している
事務所の管理をするには
余りにも奔放で杜撰な気もしたが、おそらくこの人は
そんなに大所帯を望んでいた訳ではなく
集まって来てしまったという感じだったのだろう
その中から才能のある子、花のある子を世に送り出す
そこまでが彼の仕事
最終的には、自分には子どもがいないから
事務所に関わって来た子たち
今は辞めていても
その全てに自分の遺産を配る、と
元々は戦後の戦災孤児をどうにかしたいと思ったのが始まりだったとか
まとめとして、もし、とう記者に
私がいなくなっタラ、という話でしょ
でも彼らは困りません
うちのアーティストは自分でマネージャー業もやっているわけで
最初は付き人もほとんど付かない。だから、もしそうなっても
自分でちゃんとマネージング出来るから心配いらないと
その彼は
小学校の時にね、こんな馬鹿なことを考えていたの
星の光は何万光年もあるわけでしょう
だから、空にカメラを向ければ、大昔の写真が撮れるんじゃないか
そういうものができないかなって
少年のような発想をするその人の事務所の経営状況は
その人が思うよりずっと現実的で
契約書は国連が問題視するほど会社優位で
ガードが厚く、集金率も高い上に
所属している人へのガードも堅かった
それを管理する人の存在が
良くも悪くも創業者が奔放な人生を歩むことを許してきたんだろうと思う
一つの事件に対しての社会通念上での加害者になっているが
もし存命中に司法の場に上がっていたとしたら
引き継いだ経営者は現状とは全く違う人生を歩めただろうと思うと
なんとも気の毒な話
思えば戦後の経営者はどこかでこの人と似たような
金では買えないものを大切にする傾向があった
港で運輸会社を経営していた小父の会社にも多くの客人と称する
食べる為だけに来る人がいた
その中には椿(椿宗徳さんではありません)というボクサーがいて
どこかで無銭飲食をするたびに
社長の運転手の石田さんが
今日もラジオ(無線)だ、と、警察に引き取りに行かされていた
この内容を思い出して
人が飄々と生きるには、見えないところで大きな犠牲を強いている
と改めて実感する
最大の犠牲者は事務所に所属していた人たちだったと思うが
今日、4月10日、漸く新しい会社で出発することになったようで
泉下のご仁もホッとしていることだろう