子どもが小学校に入って漸く子育てにひと段落と思って
朝、支度をさせて、漸く出かけたと思ったら数時間で帰宅する
そんな大変な育児の最中にお母さんが休息出来るメニューとして
当時の育児書に載せられたのがお母さん休め
オムレツ、カレーライス、アイスクリーム、サンドインチ
ハンバーグ、焼きそば、スパゲティ、目玉焼き
これ、母親を思って書かれた育児対処だと思ったら大きな間違い
カロリーの問題
噛まずに食べることの問題
手抜き料理であることの問題
要するにこんな料理を常に食べさせる母親は失格だということ
育児書と言えば、私の姉世代に日本中で有名になったS〇〇〇の育児書と
いうものがあり、それに頼りすぎでノイローゼになる人が続出して
海外で発禁本になり、日本でも販売されなくなったことが有った
赤ん坊は決まった時間に決まった量のミルクを与える
無暗に抱いてはいけない
次姉はそれに従い、三時間おきに沸かしたてのお湯を冷ましてミルクを作り
寝ている甥を起こして与え、せっかく寝ていたのに起こされたことで
泣き止まない甥の対処に困り果てていたので
発禁になって本当に良かったと思った
育児書に丸ごと頼ること自体違う気もするし
子育てと言えば、その昔、ドイツの偉い医者が
国中から生まれたばかりの子を集めてきて
三分の一は寝かせたまま声もかけずミルクを与え
三分の一は声をかけながら寝かせてミルクを与え
三分の一は抱き上げて声をかけながらミルクを与えると
寝かせたまま声もかけなかった子どもは
ひと月ほどで亡くなってしまい
抱き上げなかった子は表情の乏しい子に育ち
抱き上げてミルクを与えた子は表情の豊かな子になって
子育ては抱いて声をかけることが大切という結論に至ったとか
もう半世紀くらい前に、義弟が入院した病院のエントランスの
ベッドに水頭症の赤ちゃんが寝かせられていて
『声をかけてください』という張り紙がしてあった
手編みのショウちゃん帽をかぶって寝ているその子は喜怒哀楽を全く示さない
その為に不憫で有ったのか、理由は分からないがその子の両親は
入院費を払うだけで面会に来ることは無かったとか
今は治療により改善されるようだが、その当時には治療の手立ても無い
喜怒哀楽を表現することも、言葉を発することもなくただ寝ているだけ
親にしても辛かったことだろうと思う
その病院の医師がドイツの医者のことを知っていたかどうかは知らないが
通院や面会に来た人が声をかけたことで
医師が診断した結果よりも長く存命していたと後に聞いた
お母さん休めと言えば、昭和57年1月22日の金曜日
日本中の小中学校の約八百万の生徒が一斉に昼食にカレーを食べた
その理由は
子ども達が一番好きな献立だったから だとか
この日カレーを食べた小中学生はおそらく幾つになってもその時のことを
忘れないのではないだろうか
そのカレーが日本に初めて献立として紹介されたのは
万延元年(1860)福沢諭吉により、加兀(カルー)と
紹介されることに始まるとか
その時のレシピは 葱ヒト茎、生姜半欠け、韮少しばかりを細やかにし
牛酪スプーンに一杯、水五合に、鶏、海老、鯛、蛤、赤蛙等を入れて、
カレー粉と饂飩粉で、、と
今の子は絶対に食べないと思う