東京の出版社に通っている頃、トラックに猫の絵が描かれた運送会社の前を
何度か通ったことが有った
この猫と後に大層なお馴染みになるとは当時は想像もしなかった
その頃の荷物の配送はチッキという、国鉄で行われていた
運びたい荷物を駅まで運んで、貨車に積んでもらい
電報か電話で知らせて受け取り主は駅まで取りに行く
私が子どもの頃、戦時中の上官が亡くなり
恩給の証明を得られない人のために
戦時中下士官として赴いていた父が証明をしていたそうで、
日本中から多くの人が見えていて
その一人から、お返しにと木箱に入った林檎が長年贈られてきていた
バールで釘を抜くと籾殻の中に入っている赤い林檎
その木箱に次姉の手でいろんな包装紙が貼られて棚になったり
私と妹の恰好の遊び道具になったりしていた
その荷物を取りに行った時に手伝ってくれる赤い線の入った帽子を被る人は
赤帽と呼ばれていた
この人たちは手荷物を運ぶ手伝いや
時には電車に乗る手助けをしてくれたりしていた
私の記憶が正しければ、クリスマスの頃、街角で寄付を募っている慈善鍋の人も
同じような帽子を被り、マントを羽織っていたと思う
後にこの赤帽の人たちの働く姿に感銘を覚えた人々が
赤帽という名前の運送会社組合を作ったそうだが
確かに駅の混雑の中を懸命に荷物を運んでいる姿は
カッコよくもあり頼りにもなった
そして黒い猫の運送会社
この、子猫を運ぶ黒猫の姿は、この会社と提携しているアメリカの会社の
荷物を大切に扱うというシンボルとして描かれたものを取り入れたのだそう
この会社が宅配を始めてから、駅まで荷物を取りに行くことも無くなり
旅の帰りも楽になり
宅配の世界は海外への短時間での配送も可能になって来て
当時モンゴルにいる夫に食べ物を送れるようにもなっていた
ただし、大陸の場合、少しでもミスをされると、相当長くもなる
夫に送ったクリスマス用のチョコレートが二か月ほど旅をしてから夫の許に届き
その荷物には数国のスタンプが捺されていたとか
日本の電車の時刻表のように正確に届く宅配を誇りにさえ思えてくる
近くのスーパーでは品物を選んでその日に運んでくれて
その上置き配までしてくれる
こんなに楽をしていいのだろうか、と、たまに思ったりする