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大岡川は磯子の円海山から桜木町へ流れる横浜で二番目に大きい河川です。
その川の清水橋から観音橋の間には大岡川プロムナードとして
市民の憩いの場所になっています。
特に両岸に植えられた桜が咲くころは屋台や屋形船も出てとても賑やかです。
その昔この川の両岸には捺染工場が立ち並び
工場で染め上げたものを川の水で洗っていたのです。
この川岸にはまたその工場で働く職工さんたちのための遊興の店も
たくさんありました。
私は子どもの頃
捺染工場で染められた横浜スカーフの縁をかがる内職をしている
近所のオバサンに一度だけ連れて行ってもらったことがありますが
半ば川に迫り出した板の上に立つお店の
どれも賑やかで、また、工場の、機械の音が絶え間なく聞こえて
まるで不夜城のように思えた記憶があります。
そのオバサンは、いつ行っても、日がな一日中
ミシンを踏んでスカーフの縁かがりをしていて、
その割には近所や子どもたちの情報に詳しく
いったいどうやって知るんだろうかと、とても不思議に思ったものでした。
因みにこのスカーフ、実は外国で有名ブランドとして売られていたとか。
今日はそんなことをいろいろと思い出しながら
桜を見に行ってきました。
昔の華やかさも淀んだ川の流れもなく
水鳥が滑るように泳いでいく川面には桃色の桜が写り、
それは美しい眺めでした。
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今年も桜の季節がやってきた
日本ははいり口から桜かな
という俳句を作ったのは小林一茶
未だ飛行機も外国航路の船も無かった時代に
何故日本中が桜で染まっていると分かったのか
どこが日本の入り口だったのか
私はずっと謎だったが、最近気がついた
この日本は東海道の出発点の日本橋のことなんだろうと
桜の代表とされている染井吉野は
花を見たくば吉野へござれの吉野ではなく
江戸の染井村、現在の豊島区馬込の植木職人が
江戸彼岸桜と大島桜を掛け合わせて吉野桜として売り出したもの
若しくは吉野という植木職人が創り出した桜
なので染井吉野
そしてまた江戸近辺の山々に美しく咲く、山桜以外の桜は
時の幕府が人を頼んで一本一本植林をして咲かせてきたものだとか
そういう思いで山に咲く満開の桜の花々を見ていると
先人たちに感謝の思いが湧いてくる
桜には神が宿るとして、その昔は御神木とされ
花の盛りの頃は桜の木の下に御節という節供料理を持ち寄り
お神酒を酌み交わすのが習わしでもあったと、民俗学者が書いていた
いうなれば桜の花の下にブルーシートを敷いて
飲み食いして酒を酌み交わすお花見はとても信心深い儀式でもある訳で
そうでありながら、時には梶井基次郎のように
桜の樹の下には死体があるとか
一茶の、桜木を砕きてみれば花も無し花おば春の空ゆもちくる
などと、その美しさの神髄を怪しむような表現をされたりする
私的には
菜根譚の作者、洪自誠の言い表す
花看半開 酒飲微醺 こそ大いに佳趣あり
と言いたいが
風もなく散っていく桜こそが
春の終焉という寂しさも相まって、一層妖しく愛おしく思えてくる