今日、テレビで特集を組むというので、観ると、懐かしい人が映っていた
、
別に知り合いでも何でもないのだが、出版社に勤めているころ
翌月のタイムテーブルを貰うため
テレビ局やラジオ局を回っていて、六本木のテレビ局に行ったとき
エレベーターが来るのを待っていると、中から何人かのタレントが下りてきて
その一人が私のことを上から下まで見下ろして
タレントより目立つ格好で来るな、と語気も荒く叱られた
言い訳ではないが、会社からはなるべく目立つ格好で
一日も早く名前を憶えて貰えと言われていたので
リンリンランランのような出で立ちで行ったのは確かだったけど
別にお化粧をしていたわけでもなく、ドーランを塗って
口紅をさしている若いタレントほどは目立っていないと思っていたので
返事をせずに帰って来た思い出
ドーランを塗っていた若い子は今でも現役で踊りを躍って歌っていて
タレントの自己管理は凄いと改めて感心する
そしてまた、今日テレビで見ているその人と、遠い昔のその人とを思い比べて
歳月の流れの速さを改めて実感した
それもこれも、先方にしてみれば記憶の欠片も無い話
肝心の百軒店(ひゃっけんだな)はその昔、箱根土地という
不動産会社の社長が、旧伯爵の屋敷を買った跡に、銀座や浅草などに出向かなくても
済むように銀座の百貨店並みの店や浅草の芝居小屋に見合う映画館などを
連ねるということで作られた街だとか
百軒店の店(たな)は元々小僧さんや職人達が世話になっている商家を呼ぶ表現なのだが
ひゃっけんてんとか百軒みせ、よりは(たな)のほうがゴロがよかったのだろうか
昔々は職人たちは商家が建てた長屋で暮らすから
店子(たなこ)になり、家賃は店賃(たなちん)になり
大家は親と同じとして、夫婦げんかの仲裁をしたり
貧しい家には仕事を与えたりと、なかなかに大変なものだったそうだ
今は仲介業者から届く内容を見るだけで
店子の顔も知らずにいる大家さんが普通のことだと思う
この創業者ともう一つの鉄道グループで箱根の鉄道に対する利権争いが
何年もの間繰り広げられて、獅子文六によって新聞に『箱根山』という題名の
連載小説として掲載されていた
私はこの獅子文六の小説が好きで、子どもながらに新聞を切り抜いて読んでいた
後に、見川鯛山という御本人の言われるところの山医者の小説家が
獅子文六のお弟子さんと知って、何故か妙に嬉しかったのも懐かしい
箱根山には当時の省とか霞が関の人々が少し名称を変えてふんだんに登場する
大手の銀行が統合した時にも、双方の行員どうしで箱根山の再来と
揶揄されるような小競り合いが有ったというゴシップ記事を読んだことも有る
箱根山は後に加山雄三が主役になり映画化されていたが、観た記憶は無い
詰まるところ、私が今日興味を持ったのは、百軒店という題名だけであり
この百軒店を造り上げた不動産グループの創業者は
旧皇族や華族の土地が好きだったようで、赤坂や横浜も磯子などの
皇族の別邸を次々に買い取り
プリンスと名付けられたホテルをたくさん建てていて
今日の番組にゲストで来ていた青年のグループも
新横浜のアリーナでもライブをしていると娘から聞いたが
その街にもプリンスホテルがある
果たして彼はそれを知っていただろうかと、ちょっとだけ興味が湧いた
そしてまた、絵を描くことは好きという青年は百軒店に
竹久夢二という挿絵画家が好んで通っていた店が有ったことを
知っていただろうかと
娘から、そんな古い話、知らないと思うと言われたが
そういえば、この創業者は横浜の野球場を無償で建設してくれた
素晴らしい人でもあったと聞いた
横浜市民にとってはとても有り難い人でもある