ドライブ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

埼玉県川口市から青森まで繋がる東北自動車道の

郡山まで開通したのは1975年の4月

 

それまでは夫の郷里に帰るには4号線という一般道を北上するルートだった

 

当日の仕事を終えて帰宅するとそのまま実家に向かうという夫

当時乗っていたのはトヨタのクジラクラウンと呼ばれるタイプだった

 

それ以降

息子が幼い頃、キケンを避けるためにツードアのカローラにしたことが

あったが、仕事の車はずっとクラウンで運転手人生を終えた

 

朝5時に仕事に行き、帰宅して、夜8時過ぎに家を出て

草加辺りに差し掛かると渋滞も無くなり

対抗してくる車も疎らになり、やがて人家が消え

道路の両側は田んぼと工場の建物が並んで

 

遠くの人家の灯も消えて

街灯も無い道を延々と、何キロか先のドライブインまで

走り続ける

 

ずっと先の闇の中にドライブインの灯が浮かんで見えると

意味もなく、助かった、という夫

 

カーラジオは既に音を拾うこともなく

カセットデッキで吉田拓郎や泉谷しげるの歌を聴いて

只管運転していた夫はたぶん睡魔に襲われていたのだと思う

 

ドライブインに着いたら少し休もう

それは福島に着くまでの間に何度か繰り返されて

 

駐車場に入ると砂利を敷かれた駐車場にたくさんのトラックが停まっていて

中には窓から足を突き出して仮眠する人がいたりして

 

ドライブインで食べるラーメンは今でも思い出せるほど美味しかった

 

後に東北自動車道が福島の最寄りまで開通しても、そのラーメンを食べたくて

一般道を走ったことが有った

ところが高速道路が出来たためか、建物はあるのに、近くによると閉まっている

結局漸く見つけたドライブインで何故かカレーライスを食べることになり

 

やがて漆黒から薄墨色の空になり、家々に明かりがともり竈の煙が立ち上り

そして白々と明けて行き遠くに黒々とした山の稜線が見えてくる頃になると

何となくホッとして

 

夫はともかく運転をするのが好きだった

横浜から福島の実家まで1日で往復することもあり

車は3年目には100000キロを走っていて

ディラーの人から車検より買い替えを薦められた

 

その夫がもう、これで最後になると言ってドライブに誘ってきたのは

夫の妹が亡くなった秋

 

たぶん夫の中では自分の頭の中の記憶が消えていっていることを

自覚していたのだと思う

 

モンゴルに行く際、既に50を過ぎていて

少なくとも10年は戻れないと話していたので

車は買い取って貰っていたから、レンタカーになった

 

何回も、何十回も通った道路を運転して、自宅に戻ると

夫はホッとしてため息をついていた

相当緊張して走ったのだと思う

 

幸いにもその当時住んでいた家はいくつもの商店街の近くにあり

買い物や総合病院への通院は徒歩のほうが早く

5分かけて表通に行けばバス停が有ったので、車を必要とすることは無かった

 

その夫を病院から施設に送る際、介護タクシーの運転手さんに

夫が馴染んだ道を数時間かけて走って貰った

 

車いすに乗って固定されている夫は外の景色を見ながら

過去と今との風景を私に教えてくれた

 

たぶん彼の人生で一番のんびりしたドライブだったと思う

 

私はだから夫に、生まれ変わったら、必ず私を探し出して

再びドライブに連れて行くようにと言うと、夫は分かったと返事をしていた

 

忘れなければいいのだが