男尊女卑 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

この言葉を聞くと、昭和の時代をイメージする人が多くいる

 

法的な、参政権や職業選択の自由とかその方面から見れば

確かに昭和の時代の女性の地位は低かった

時には一盗二卑などと公然と言わしめたり

女三界に家無しなどとされたり

女が学問を積むと国が亡びるとさえ言われていた

 

家が家長制度の頃、一族の家長とされる人の戸籍にはその家の女性と子どもの

戸籍が全て載っていて、その一人が不祥事を起こしたり、生活に困窮すると

養わなければならない義務があったそうだ

 

私の父も、祖父も、それぞれに家長で有った為に、古い戸籍には

私の父方の女性の名前が全て記されていて

他に嫁いでもその家に籍をいれなければ

そのこどももまた父や祖父の戸籍に記載されたようで

祖父によると、中には会ったことも無い人もいたとか

 

以前ルーツという映画テレビドラマが流行った頃に

次姉が祖父母のルーツを知るために昔の戸籍を取り寄せたことが有って

その中に記載されている名前は数ページに渡っていて

成程、これが家長制度の時代の戸籍謄本かと変な納得をしてしまった

 

子どもの頃は親に従い、結婚すれば夫に従い、老いては子に従い

故に女は三界に家無し

この言葉は、元は三界の火宅として

苦悩の無いこの世の住まいということだそうで

仏説の色界、欲界、無色界のことだそうで

三界安きことなく、なお火宅の如しという

法華経の一節から出ているそうだが

 

この言葉を流行らせたのはイプセンの人形の家の

ノラという女性の半生を描いた芝居の中で

松井須磨子が歌った歌がもとになっていたと思う

所謂革命の歌

要するに社会的地位向上のためのアンチテーゼなのだが

 

因みに火宅の人という小説を書いた檀一雄は檀ふみの父親

 

その家長制度の名残がある頃

母は封建制度の元祖ともいわれる鹿児島の父のもとに嫁いだのだが

その母の時代の所謂主婦は、ほぼ完全に主婦であり

長男が結婚すると、夫の実家である福島では

しゃもじ渡しというご飯をよそう人が姑から嫁に代わるという

風習まであったように

長男が結婚すると

その家を仕切るのは長男夫婦になり

親夫婦は隠居小屋として離れに住んだり

家族の団欒とは少し離れた距離で暮らしていた

 

また、厄年の本来の意味である本厄は

女性は数えの33、男性は42でその役を終えるという意味でもあった

この厄を定めた頃のさむらいは人間五十年と辞世の歌を詠んでいるのだから

余生は十年も無かったことになる

 

そして母の時代

外に出ると男には七人の敵がいるなどといわれて

満員電車で通勤し

終身雇用の退職年齢は50歳

当時の平均寿命は67歳

昭和50年以降になり、漸く70代になったわけで

朝は朝星、夜は夜星、昼は梅ぼし頂いて、週休一日で頑張って働いて

給与は現金で袋に入れて持ち帰り

休みたいとか遊びたいとか、そんなこと思ったらシネといわれて

 

漸くバブルの頃に入ったら、みつぐ君だの、アッシーだのメッシーだのと

うっかり子どもの運動会にでも行けば、会社クビになったのかとか

一時帰休になったのかと言われ

挙句の果てには亭主達者で留守がいいなどと言われ

 

で、最近、知人の娘さんが何人かお子さんが生まれてすぐに離婚したという

その内容を聞いて、本当の意味の男尊女卑は決して無くならないんだと

むしろ昭和より今のほうが厳しくなっているのだと実感した

 

それぞれの娘さんはいみじくも、子どもが生まれて産休に入ると

全ての家事や子育ては産休中の妻がやって当然となり

結局子どもが泣く声がうるさいと夫は家に帰らなくなり

離婚したが、養育費は数回で途切れたと全く同じパターン

たまに子育てに従事する父親はイクメンとして褒められる

 

公の場では男女雇用機会均等法など、いろいろな法律はあるが

肝心な家庭の中はまるっきりの男社会

 

たぶんこの状況を作り出したのは

家長制度が有る訳でもないのに息子可愛さだけの子育てをした

私達親や祖父母世代の責任なんだろうと思うが

 

昨日、韓国の空港で、スポーツ選手の夫の少し後ろを歩く妻を

夫の後ろに下がって歩くよく出来た人、と称えるネットの記事を読んで

これって日本人の本質なのかと思えて来た