人が人生設計を建てる場合には
四つの時期と計画が大切である
ということらしい
一日の計りごとは晨(あした)にあり
晨=夜明け方
一年の計は春(元旦)にあり
一生の計は勤め(仕事)にあり
一家の計は身(身代)にあり
一日の計は寅(午前六時)にあり、とも
要するに何事も計画をもってすれば良い、ということらしい
一説に毛利元就の言葉とされているそうだ日置昌一という国史研究家によると
単に古くから伝えられているとのことで
たぶん寺子屋の時代に用いられた論語教育として
学ばれてきたのではなかろうかと思う
論語は古く中国の思想家孔子によって生み出された思想で儒学の基礎とされている
父方の曽祖父は寺子屋を作り、子どもたちの教育に従事した人だと
当時姉たちが通っていた、九州の百引小学校の校長先生から
母が聞いたと話していた
その小学校が曽祖父がその町に寄付したものだったとか
なので、父の家から学校までの通学路は全て父の家のモノであり
父が横浜に出てきた後に百引の役所から土地を売って欲しいと連絡があったそうだ
姉たちはよその土地を通らずに学校に通っていたと聞いたとき
横浜の中区で成長した私は、何故か学校が家の真ん前にあったのかと
そこが羨ましかったが、実際は歩いて小一時間ほどの距離だったと聞いて
都会の下町で育って良かったとしみじみと思ったものだ
父は一貫して、弱い者いじめをしてはいけない
自分より弱い人のことは助けなければいけないと説いていたので
たぶん自分の祖父から儒学の手ほどきを受けたと思うのだが
残念なことにそのことに関しての会話はしたことが無かった
父はまた商船学校の教員であったために海の大切さについても
よく語っていて
特に治山治水については古くから言われていたそうで
当時の無計画な造成を常に憂いていた
山の木を切れば海の水が濁り、魚が獲れなくなる
山を治めることで海が治まり、漁場が豊かになる
それはその後、父の言葉の通りに
高度成長により山林を開発し始めてほどなく
海が荒れ、漁獲が減っていくことになり
昭和の中頃には、魚の切り身を何枚まで食べて大丈夫か、などという
サザエさんのアニメにまでなるほど,、獲れた魚の汚染の問題も表面化して
私は漸く父の言っていた治山治水を理解した
四計同様に昔から言われている言葉は大切なのだとしみじみと思う
何事も計画を持ってする
頭の冴えている時間に計画することで、物事の全容が見易くなる
目的や手段を決めることで物事がスムーズに運んでいく
そういえば
多忙を極めていた頃は朝起きる前に
今日の手順を一通り確認していたことを思い出す
毎日が休日のような今は特に何か考えるような計画も無い
小人閑居して不善をなす、なんてことにならないように
もう少し自分の品性を磨かねば、とは思うのだけど