2010年3月5日のブログから | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

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愛子さまが男の子の行動に通学出来なくなったってニュースを観て、
昔々秋篠宮様が礼宮様の頃を思い出しました。

礼宮様も、皇室の中の大人との生活から

突然、同じ世代のお子さんの中に入って行ったため、
同級生との生活に馴染めず、チックという症状を起こし

確か初等科の三年生の頃だったか
もうこれ以上学校には通われないと宣言されたという記事を

目にしたことがありました。

それをお聞きになった当時の美智子妃殿下は

日本国民の義務として中学までは通わなければならないから

その先になったら一緒に考えましょうと仰ったとか。

二人の子どもを育てて、ひとつ確信出来ることがあります。
それは、子どもはいつまでも子どもではない、ということです。

虐めに遭う。
それはとても悲しいことだから

学校に行きたくなければ行かなくてもよいと思います。

虐められることに理由があるなんていうのは、虐める側の詭弁です。

学校に通わないからといって、終日家の中に置いておくこともないと思います。
平日の昼間、子どもと一緒に映画館に行き

映画を観て、水族館に行き、お魚を観て、電車で旅をして

お買い物をして

 

お金の計算を覚えさせ、働いている人を見て世のかなの仕組みを教えさせる。
それだって勉強の一つなのですから。

我が家の上の息子は遅刻も欠席もしませんでしたが

高校時代にその理由を述べたところによると家にいると

いろんな用事を言いつけられるので、学校に行った方が楽だったんだそうです。

が、娘の方は、愛子様の環境とは雲泥の差ではありますが

生まれた時点で、既に多くの従業員や、事務を手伝ってくれる女性の方々や

私の母や姉妹たちがいて、大甘に育ってしまったため、
幼稚園に入園した際は

近所のお子さんから、何で赤ちゃんが幼稚園にいけるの、という状態で、

別に虐めに遭っていたわけではないですけれど、

小学校の三年くらいまでは一番小さく、

その上風邪を引きやすい子で、

インフルエンザが流行ると真っ先に罹り、毎年のように、保健所の方から、
サンプル(感染した血液》の採取をされていたりして

なかなか学校に馴染めずにいました。

何日も休んで、暫くぶりに行く、というのは、大人だって億劫な話です。
 

ですから、娘にはいつも、無理に学校に行かなくていいよ、と育ててきました。

その代わり、家にいる間は、私が出来ない家事をいろいろと手伝わせて。
学校に行っても、お米を研ぐのは娘の役割として。

そんなわけで、小学校時代の通知表は、見事に頑張りましょうのオンパレードでした。

先生たちの中には、理解されている方と、呆れる方と、無関心な方と、
いろいろとおられましたけど、
子どもが学校に通うのは一時であり

親子の付き合いは一生なのだから、という気持ちで、

どのような批判も気になりませんでした。

そうやって育った我が娘は、高校三年間は皆勤賞で

自己推薦で一応は名前の通った大学に行き、
国に関する仕事を始めてからは、遅刻はおろか、有給休暇も勿体無いといい
自分と同年齢の男性まで叱咤激励して仕事に励んでいるようです。

深夜に娘の携帯に仕事についての問い合わせの電話が入って驚かされたりします。

体も丈夫になったようで、満員電車で一時間近く通勤する身でありながら、
新型インフルエンザに罹ることもなく過ぎました。

子どもはいつまでも子どもではないのですし、
学校もまた、子どもにとって、必要な場所ではあっても

人生の全てではないのですから、
学校で理不尽な思いをしたら、無理に通わせることなんか考えず、
回りの大人が守って欲しいと思います。

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小学校で悩まれておられた愛子さまはご立派にご成人され

 

不登校の生徒のためのフリースクールも当時よりは充実しているようで