今日は二月二十二日ということで
にゃんにゃん 猫の日らしい
今からもう十年くらい経つだろうか
夫の体調で転居した先の街にやたら猫が多く
それも生まれたばかりと思える子猫がたくさんいて
どうもご近所の人が餌を与えているようだった
ただ餌を与えるだけだから、猫は増えて行き
近隣の家の庭に入り込み、花壇を荒らし、糞をする
時には子猫が鴉に狙われ、子ども達の目の前で惨劇が起き
車に轢かれ、やはり子ども達の目の前で惨劇が起き
幾らそれを言っても、対処しないで餌を与え続ける人
あからさまに周りの住民に疎まれているのが分かった
終いには署名運動や市への嘆願までされて
それでも夕暮れに猫たちに囲まれて餌を与えている
その姿は何故かとても寂しそうに見えた
その人には夫も子どもも孫もいるのだが
その誰も彼女に注意したり助言する様子はない
その上若干であるが身体に障碍があることも分かった
私はその人と話してみることにした
猫に餌を与える理由
それは答えて貰えなかった
しかし、そうなった理由は分かった
お姑さんがいなくなってから、だとか
日曜日には趣味で出かけてしまう夫
親の行動には一切関心の無い子ども
この人は猫に依存しているのだと分かった
雨が降ろうが雪が降ろうが毎日働いて、そのお金で餌を買う
時には近隣の人から実害が出たと言ってお金を請求されたこともある、と
たくさんの猫に囲まれていて幸せかと聞くと
えっとした顔をした
その猫たちの子どもは、あなたがただ餌を与えるだけだから
鴉に啄まれたり、車に轢かれたり、雨の中で息絶えたりしているけど
それを見ても幸せかと聞くと項垂れた
せめて避妊をさせるという考えはないのかと聞くと
初めて聞いたという
たぶん周りの住民からは既に言われていたと思うが
否定の言葉が先立ち、耳に入らなかったのだろうと思う
私が生まれた育った地域では随分前から地域猫として
野良の猫を飼う決まりで住民同士で避妊を義務付けていた
避妊した猫は耳を花型にカットするので桜猫となる
彼女は自分のお金では限界があると話していたので
市などで無償で出来る手続きを教えてあげた
ここまで三年かかった
その間に市の側の放置猫に対する取り組みも変わり
動物病院でも放置猫の避妊を寄付を募ることで
低価格や無償で受けるようになった
彼女のところにやってくる雄猫は実際はほかの家で野放しで飼われていて
雌に種付けをしていく、そんな感じだったようで、母猫を避妊すると
生まれる猫が激減した
たまに生まれると、ある程度成長すると動物病院に連れて行き
飼ってくれる人を探して貰うことにしたと話していた
先日久しぶりに彼女の家の近くに行ったら
奇麗に洗われたエサ入れの周りで数匹の猫が待っていて
出て来た彼女は猫たちに何かを話しかけながら餌を与えていたけれど
その姿はしっかりとした地域猫の保護者になり
あの時のような寂しそうな顔はなかった
本当に猫が大切なら
生まれたばかりの猫をあんなふうに死なせたりはしない
ただ餌を与える人にはそのことをしっかりと理解して欲しい
そして周りの人には、何故そうしてしまうのかを理解して
ただ禁止するのではなく、改善に導いて欲しいと思う
彼女が闇雲にエサを与えるようになった背景には
飼い猫で有りながら避妊もせず外に放つという無責任な飼い主がいることも
一因になっていたわけなのだし
猫の習性からすれば、ちゃんと避妊さえして貰えれば
彼女のように分け隔てなく餌をくれる人がいる地域で自由気ままに生きるというのは
多分一番幸せなことに思える
因みに宗教上から動物の権利を認めて、地域犬猫という存在を認めているトルコでも
テリトリーにいる猫や犬の避妊についての決まりはしっかりと定められているそうだ
にゃんにゃんだから猫の日
でも、猫は一年三百六十五日毎日生きている