ふるさとの | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

訛り懐かし停車場の人ごみにそを聴きにゆく

 

これは

石川啄木の一握の砂 悲しき玩具

函館なる郁雨宮崎大四郎君と同国の友文学士花明金田一京介君に宛てた詩集

の中の一篇

 

宮崎大四郎は石川啄木の妻節子の妹婿で有り、郁雨は歌人としての号

物心両面で啄木を支えた人物とされている

 

金田一京介は昭和の団塊世代までの人々には懐かしい三省堂の

茶色い表紙の国語辞典を編纂した民族学者

 

彼もまた二つ年下の同胞を金銭面で支えた人

花明もまた金田一京助の歌人の号


石川啄木は岩手県盛岡で生まれ、渋民村の宝徳寺の住職である父親の元で

一歳から育った後に、大いなる野望を抱き、都会の、小石川で暮らし

そこで26歳の人生を費えている

 

渋民は盛岡の駅から出ている、いわて銀河鉄道の花輪線で行く

その駅までの間に見えるのは杉林と田んぼと川と民家

終点は秋田県の大館になる

 

日本で初めての私鉄は明治23年に上野盛岡間を開通して

啄木が五歳の時に盛岡から青森まで繋がる

 

多くの若者は車窓に映る幾つもの街灯や山影や、遠い連山を見送りながら

都会に出て、故郷をしのぶために上野の辺りを訪ねて

 

大きな野望を抱いて故郷を出て来た啄木もまたふるさとの訛りを聞きたくて

上野の停車場に向かう

 

啄木と同じころに石川県金沢で生まれた室生犀星は

ふるさとは遠きにありて思うもの

そして悲しく歌うもの

よしやうらぶれて異土のかたい(乞食)となるとても

帰るところにあるまじや 

 

と、言いながら

夕暮れになると

 

ひとり都のゆうぐれにふるさとを思い涙ぐむ 

 

としているのだからやっぱり恋しいに違いない

 

嘗て訛りは国の手形とされて、自分ではすっかり標準語で語りながら

ほんのちょっとのイントネーションで生国を知られることになり

互いに同じ故郷を持っていることで商談が上手く行くということがあったり

居酒屋で仲良くなったり

 

昨日2月18日はその訛りの日とされているのだそうだが

その理由は鹿児島県の大島地区に伝わる奄美方言に由来するそうで

地元ではユンヌフトゥバの日とか、シマユムタの日とか、シマユミタの日とかから

言葉という意味の、フ=2,トゥ=10,バ=8、ということで2月18日になったとか

 

上野でこのような会話が耳に入ったら、他国の人の会話かと思ってしまいそうだ

 

訛りと言えば、東京の出版社に勤めていた頃、横浜で育った私を訛りが激しいと

大阪弁で叱る上司がいたが、子どもの頃から大人の中で育ち

丁寧な言葉を自負していた私には今でもなんで叱られたかは分からない

 

ただ、タクシーに乗ると、運ちゃん、まっつぐ行ってぶっとまりを左に、という

ハマ言葉をつい使ってしまう私には薄々とした自覚は無くはない