小学一年の五月に道で転んで、暫くすると熱が出て歩けなくなり
色々な病院を巡り、敗血症ということで入院し、その後骨髄炎を併発し
当時の医師から、助かる望みは5%と言われて
当時、特に効く薬もなく
体の中の菌を退治するために一日二十四時間点滴を打たれて
最初は腕で、やがて手の甲、それでも射せなくなると
足の甲にまで
注射針は布団綿針ほどの太さ
今であれば介護施設でさえ虐待認定されるような
手と足が動かないようにベッドに括られて
まるでキリストの磔のような生活で
一か所に膿が溜まると切開をして
やはり動くといけないので全身麻酔をする
全身麻酔をすると、麻酔が切れるまで水が飲めない
どうしても水が飲みたい私は、麻酔をしないでと医師に頼む
泣いたら麻酔をするよ、と言われ、我が身をメスで切り裂かれても
じっと耐えている
二年間その治療で命を繋ぎ、全身が麻痺して、喉を切開されて
機械に依って生命を維持されて
これ以上の延命は望めないと機械を外したその時に息を吹き返し
5%の側に残り
後遺症で曲がった足をまっすぐにするために再びベッドで寝たきりになり
三年目に再発し、その時には医療も発達していたようで
ベッドの上にいて、毎日薬と注射を受けるだけの治療になり
その頃お見舞いに来てくれる大人の人が持ってくるのは
カルピスと蜜柑の缶詰
どちらも母が家にいる姉妹のために持って帰ったので
私は食べたことも飲んだことも無かった
大人になって初めてカルピスを飲み、蜜柑の缶詰を食べて
こんなにも美味しかったのかと感動した
今日「あの日飲みたかったみかん缶シロップ」が発売されるという
ニュースを読んで、子どもの頃の思い出のある人が少しばかり羨ましく思えた
子どもの頃と言えば夫は姑がおやつに買ってくるすあまを
いつか大人になって自分でお金を稼ぐようになったら丸ごと一本食べたいと
思っていたとか
それを聞いた私の次姉は今は売られていない50センチほどある
魚肉ソーセージを買おうと思っていたと
昭和の子どものなんと慎ましい夢よと思っていたら
お酒のコマーシャルに出る青年が
大人になった証として
三つしか買わなかったお菓子を四つ買えるようになったこと
と話していて思わず画面を二度見してしまった
何と奥行きの深い感性の持ち主なのか
なのに、彼の母親に近い年齢の私の娘は
蜜柑の入っていない蜜柑の缶のシロップなんで飲んでどうするの?と言って
明りを消してどこかに消えた
いつもの慣れで用事が済んだから明りを落として行ったのだろう
娘が洗い物をしていた台所でパソコンを開いていた私にも責任があるのだが
立って明りを点けるべきか、悩むところだ