今年は2月10日
日本では旧暦とされる、農暦を用いている国では
今の頃になると、春節を迎える飾りで、街も店も、家さえも賑やかになる
当然日本にある中華街でもそれぞれに賑やかな飾りつけをして
祝いの支度をしている
横浜の、山下町公園には昨年末から昨年の干支と今年の干支の張り子が飾られ
入り口脇にある会芳亭という名前の四阿にはランタンが飾られている
(この四阿のタイルを張ったのは当方の従業員で
行くたびに仕事をしていた彼らの様子が目に浮かんで懐かしくなる)
この四阿、竣工当時、何を思ったか
当時の中華街の組合長さんがここでの宿泊を提案してして
テレビで生中継されていた
今年は辰年
今から24年前の辰年にはみなとみらい線の元町中華街駅が出来るということで
地域一帯が協力し、居留地開闢以来初めて、龍の舞が掘割を渡り
元町商店街で舞った
同時に民族衣装でのパレードも行われ
私の子ども達がそれぞれの列に参加していた
当時はいわゆる下の中華と上の中華が仲良く参加していたが
24年経った今、私が中学時代に感じたような不穏当な雰囲気になっている
こんな状況を見るたびに人間はなんで進化しないのだろうかと不思議になる
因みに
中華街の町内会的な役割をしている山下町公園は
埋め立てられた当初、同済病院が建てられていて
その後、劇場と食堂を兼ねた会芳楼という娯楽施設が建ち
後に清国領事館が建ち
辛亥革命の後に中華人民国総領事館が建ち
震災で倒壊し、会芳亭として公開の後児童公園になり
2000年に四阿が建ったとある
当時、建設現場から明治時代の建物の残骸が出土して
新聞社でも賑やかに報じていた
この話を書いているだけで中国三千年の歴史に触れたような気になってくる
我が家には当時の。チャイナタウン80の龍の人形が有るのだが
これは1980年のことではなく
チャイナタウンの案内所の住所のことだと知ったのはつい最近のこと
私が子どもの頃は、春節の頃は多くの人が本国に帰ってしまい
中華街は閑散とした街になっていた
今は殆どが日本で生まれて日本で育った人々だから
帰って店を閉めることも無い
それでも賑やかにランタンや龍の飾りをしたり
店の入り口に福という文字を逆さまにして貼り
福到来などとしている様子を見ると
日本の静寂とは違う
賑やかな正月到来を待ち望む大地の果て無い大きさを感じる
その昔、三峡ダムが出来た時に、放流のテレビ中継に立ち会っていた
小説家の方が、蟻の頭で龍を語っても、と言い
メディアで物議を醸したが
実際の話、大陸で一生を終える人のことを
島国で暮らす人間が考えたところで解答など出ることは無い
国境とか思想とかで線引きをする国と国とのことを
いろいろと思ったところでその結末を得るのは不可能なことなんだと思う
それでも農暦の国々がずっと平和で、毎年美しい飾りつけをして
ネットでその状況を届けてくれることを願っている
今年の春節はバレンタインと重なるとかで
各々農事暦の国はそちらの商戦が既に始まっているとか
因みにバレンタインに男性にチョコレートは、どうも日本の国だけのよう
諸外国では高級な腕時計の宣伝もしていたので
その点についても日本人で良かったと思う今日この頃