今日1月26日は昭和24年に斑鳩の里の法隆寺の金堂が焼け落ちた日
当時絵画を模写作業をしていた画家の暖房具からの出火とされている
それを期して防災の日になった
寺の火事で思い出すのは、三島由紀夫の金閣寺
こちらの方は昭和25年7月だから法隆寺の翌年になる
金閣寺については、三島由紀夫の『金閣寺』の他に
水上勉の『五番町夕霧楼』や『金閣寺炎上』などの題材になっている
特に三島由紀夫の小説はアイヴァン・モリスに英訳され
The Temple of The golden Pavilion という題名で海外でも出版されている
一度英文の金閣寺を読んだことが有るが
日本の文学のような、察する、という文脈の無い分、ストレートに伝わってくる
防災の日の今日、町内から消火器の不備についての点検をするよう
回覧板で通達が有った
そのことをブログに書きながら
三島由紀夫が市ヶ谷の駐屯地で亡くなったことに対して
旺文社が高校生から文章を募り、その中の一人に選ばれたことを思い出した
賞金は当時三千円と文章の載っている書籍
ネットで今の価値に換算すると、千円が4700円相当だそうだから
1万4100円になるのだろうか
私が就職した出版社の初任給は土日休日で有りながら二万五千円ほど
週六通勤の大卒で三万九千円とあるので、たぶんもっと価値があったと思うが
それでも今よりずっと貧しい時代だったと思う
その貧しさも、同じ環境にいる人が気にしなければ気にもならないこと
金閣寺に放火した若い僧は生い立ちの中で受けた理不尽な思いや貧しさから
金閣寺の煌びやかさに惑わされて
彼を題材にした小説家はいずれもそんなふうに取り上げている
人が生まれて、生きていく中で、いろいろな場面に遭遇し、罪を犯す
特に自分では抗うことの出来ない生活環境や身体的な問題について
理不尽ないじめを受け続けていれば、心の中に焔が立ってもしかたない
目に見える火であれば、気がつけば消すことも出来るだろうが
心の中に燃えている焔は他人には見えてはこない
それを消すことが出来るかどうかもまた、他人には分からない
ただ分かるのは、傷つくことを承知で相手が傷つく言葉を発している人間も
放火魔と同等の罪を犯していることになる
苛めというのは決して小さな火種ではないということを
幼い頃から学校では学ばせるべきだと、そう思う