以前、仕事をしている時、多くの営業マンが暇潰しに来たり
今の頃だと銀行の青年が顧客から頼まれた確定申告の書類を作るために来たり
時には取引先の監督さんが休日や深夜に来たり
会社では四つの銀行と取引していて
その中の三人が我が家の事務所でお互いの情報交換をするようになった
地域密着型の組合系銀行の子が顧客の確定申告を作るのを何故か我が事務所で始める
机が二つあるのに 昼間はほぼ私が一人
彼はこんな好条件は無いという
お茶は飲み放題、コピーは使いたい放題でしょ、だと
そこに後の二つの銀行の子が表に車が有ったからとやってくる
彼らは全員でその確定申告を作り上げ、お互いを称え合い
その割には我が社の分には一切触れもせず
時にはその彼らと支店長、そして夫と私とでゴルフに行ったり
取引先の営業マンは一人でやってくる
駐車場に社名の入った車が有れば、アポイントを取っていない限りは
他の会社の人間は立ち入らないのが一つのルールだと思う
その営業マンの人たちの中には
破産したその日、部長と来られた山一證券の子もいた
目の前のファックスに倒産情報の記事が流れてきた時
急ぎならそちらを優先してくださいという部長さんの言葉に
事務所の真ん前に駐車場を作っておいて良かったと初めて思った
紙を持って固まっている私に、何かあったのですか、と近寄って来て
その紙面を見た部長さんは顔色を変えることなく営業の子に
急用が出来たみたいだから出直そうと促して、帰って行かれた
用紙の一番上には、山一証券倒産 という文字が有った
私は営業の子に、申し訳ありませんね、と言って送り出した
そんなふうにいろんな営業の子たちと話していると
独身の頃から来ていた人が結婚し
父親になって、子どもの悩みについて相談してきた
下の子が一向に話さないという
自分は話しているのかと聞くと、帰宅して会話はしないかなという
動物だって親から習うのに、人間ならなお更では?というと
ああ、という
これから帰ったら毎日その子に自分が見てきたこと話してみたら?と
最初は反応が薄かったそうだが、だんだんと会話をしてくるようになったそうだ
その彼は営業に来ていてもあまり話さないのでこちらが察することが多々あった
それがだんだんと饒舌になり、ある時、今月はトップの業績でしたと報告してきた
たぶん子どもと会話するうちに自分自身のスキルが上がって行ったのだと思う
その二年後、息子が私立の小学校に受かったと嬉しそうに話していた
ある時、娘さんが不登校で悩む営業の人が見えた時
私は怪我がもとで小学一年の五月から四年生になるまで
ほとんど学校に行っていないけど経営者の妻になれているから
高校生なら行かなくても大丈夫じゃないかなと伝えた
それにせっかく家にいてくれるなら
病気の奥さんの介護をしている貴方に代わって家事を頼んだら、と
娘さんは家の仕事するくらいなら学校に行ったほうがいいと言って
通い始めたと話していた
何故行けるようになったのか聞いてみたら、というと
脳梗塞をおこして全身マヒしたお母さんを介護するために
会社を辞めたお父さんを男らしくないとも思っていたとか
未だ大人のオムツの無い時代にお母さんのオムツを洗うお父さんを見て
お父さんが一番辛いのだと分かったそう
彼はそんな姿を見せたら子どもが傷つくと思っていたとか
不登校にはいろんな理由がある
学校に問題があるときには、丸ごと受け入れて、新しい道を探せばよいと思う
一番やって欲しくないのは、不登校をその子の責任にしてしまうこと
ここ数年、家庭内ホームレスという言葉を目にするようになった
高学歴の両親が揃う家庭の高校生が存在を無視されて
家族と家の中にいながら孤独な生活をしているというのだ
その昔、ドイツの医師が生まれてすぐの子を母親から離して施設で育て
抱いて声をかけながらミルクを与えた子
抱いてミルクだけを与えた子
ミルクだけを与えた子
そんな実験をしたところ、声をかけた子はよく笑い
ミルクだけを与えられた子は一年を待たずに全員亡くなったという
その医師はそのことで牢獄に投獄されたと書かれていたが
子どもを育てるのに、人間が人間らしく育つのには
人の温もりが大切なのだということがよくわかる話だと思った
両親が揃っていて、家もあり、それでもホームレス
不登校であっても、お腹が空いていても
我が子のことに一切関知しない、これほどの虐待は無いと思う
その理由が親の望む学校に行かなかったというのが大半というのだ
言語の違いは有っても、言葉は人間だけに与えられた能力
その能力は学歴だけでは育たないということが良くわかる話