小正月 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

1月15日は1月1日のおお正月に対して、小正月、また

望粥の日と称する

所によっては元旦から七日を大正月、8日から15日をいうところもあるそうだが

元旦の大正月を男正月として、15日は女正月とも呼ばれる

暮れのうちから何かと忙しかった女性が漸く休める時期ということであり

 

以前テレビでこの日は男性陣が全て料理を作り女性は食べるだけという地域の

情報を報じていたが、男女雇用機会均等法の今の時代に

1年にこの日だけなどとしたら

永久に自炊をしなければならなくなりそうだ

 

15日が女性の日

そして1月16日は雇用人が休みを取って親元に帰るという、藪入りになる

 

1948年GHQにの助言で日本国憲法が変わり

全ての国民が平等とされた日

16歳未満の丁稚という子どもが住み込みで働く職業が廃止された

 

その翌年には今のような中学までが義務教育化されている

 

当初の義務は尋常小学校4年生の9歳まで

明治40年になると6年生の10歳まで

昭和16年になると国民学校初等科として11歳まで

 

ただ、この年齢は数えになる

神社仏閣の数えの年を見ると分かるように

人には実際の年齢と数えの年齢があるが

子どもが生まれると産土神(うぶずなのかみ)その地の神様から

一歳年を与えられ、それを加えた年齢を数え年にするのだが

 

戦前には正月になると歳神様からも一歳年を与えられて

生まれてから初めて正月を迎えた時には三歳になっている

 

私が子どもの頃まで、この計算で年齢を言う人がいて

役所ではとても難儀したと聞いたことが有った

 

なので尋常小学校4年生と言えば今の年で七歳になる

 

明治から大正の初めころまでの平均寿命は44歳ほどだったとされるので

稼働年齢から言えばその頃から働くのは不可避で有ったのかもしれないが

初等科という義務教育を終えると大半の子どもは住み込みで働きに行く

 

それを丁稚というのだが、その語源を紐解いても本来の意味を探すのは難しい

 

その丁稚が年に二度親元に帰る日を藪入りという

 

1月16日と7月16日

この日は本来閻魔様にお参りする日

地獄の窯の蓋が開く日として、人は善行を積まなければならない

そのために雇い人に新しい服を着せて、土産を持たせ、賃金も持たせて

実家に帰す

江戸時代の将軍に仕えた老中安藤信友はそんな丁稚の姿を

雪の日はあれも人の子樽拾い 

と詠んでいる

 

実家が遠い人は街に出て芝居を観て、蕎麦を食うのだが

 

藪蕎麦(やぶそば)の語源はその藪入りではなく

1735年に書かれた続江戸砂子温故名跡志という

今の銀座百点のようなガイドブックに

雑司ヶ谷蕎麦切 鬼子母神門前茶屋同所藪の蕎麦切

とあるそうで

藪に囲まれた蕎麦屋が出した蕎麦のことだそう

 

日本の昔、初等科から高等科に行けない優秀な子は

その地区の篤志家がお金を出して学校に通わせたのだとか

 

そして都会に出ると、書生として住み込んで

今流にいえば家事手伝いをして

学費と生活費を出して貰っていた

 

伯父の家にも玄関の脇に三畳ほどの書生部屋があったそうで

伯母がたまに書生がいた頃は重宝していたのにと話していたことが有った

 

この形は、以前、ディカプリオが貧しい家から這い出たくて

大学に虚偽の報告をして推薦を得ようとする役を演じた映画が有ったあが

今でも自己推薦があり、優秀な子には援助者が付いて

学費も免除される制度もあるとか

 

今の日本の大学は狭き門で、広き出口になり

平均寿命が上がったことで、子ども達の義務教育年齢も高齢化しつつあるようで

最近は高校までを義務教育とするという話があるそうだ

どちらが良いのかは分からないが

少なくとも10代になる前に親元を離れて他人の家で暮らし

大人が飲み散らかした酒の樽を拾う子はいない

 

という、小正月の話

 

今の時代は丁稚などありはしないが、

働きづめの人は休日をとるようにと浄土宗の教えにあり

その日が1月16日に当たる

 

私は働き詰めではないので、小正月の今日は夫の施設に行った後

京急杉田の駅直結のビルに寄って九州物産展で軽羹と信玄鶏とお煎餅を買ってきて

お煎餅屋さんがくれた新年の挨拶の中に入っていた昆布茶を飲んでいる

 

そういえば最近は年の初めの客にお年賀をくれる店もあまり見なくなった