夢を見る | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

正月二日の朝見た夢を、初夢と言い

一富士、二鷹、三茄(なすび)の順に良い夢とされていて

前の日から枕の下に絵を敷いておくと良いなどと言われているが

たまに帰省し、大勢で賑やかに過ごした正月の次の日に

夢を見る暇などないと思う たぶん

昨日のお酒が残っているか、朝から食事の支度の手伝いをしているか

子ども達は貰ったお年玉が気になってワクワクしているだろうし

 

しかし、これが悪い夢になると、ちょっと気持ちが塞がって、一人悩んでしまう

慌てて獏にお願いして取り消して貰ったり、週刊誌の占いを読んで自分を慰めたり

 

ところが悪い夢だから、あながち悪いことが起きるというわけではないらしい

 

誰かに○ろされる、誰かを○ろす、自分が○んでしまう

それは新しい自分が生まれようとしている予兆で有り

親を○ろすのは親という壁を乗り越えた証なのだとか

 

哲学的に言えばイデア、自分の中の魂の目が成長しているという証で有り

新しい人生を歩みだそうとしている証で有り

 

ある意味、こいつは春から縁起がいい、というか

 

そんな、寝ている時の夢ではなく、人生においての夢

 

1948年10月に生まれた夫は戦後復活した日本の

最初の年に生まれた日本人でもある

それまでの混乱期に、危機を感じた人々は、不作の前の年の生り物と同じく

沢山の子どもを産んだ

やがて彼らが成長して

どこででも働く姿を見かけた時の評論家堺屋太一により

塊のような世代と称され、団塊の世代と呼ばれるようになった

 

彼らが生まれたのちに、日本人は自由に海外に行かれるようになり

大勢の若者が船で海に出た

その話は

『団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見てその夢を叶えた話』

としてブログに書いたが

夫はAfghanistanに行ったときに見た夢を生涯をかけて実現させた

 

その夫よりずっと早く、戦後間もないアメリカで、一人の青年が日本から来た

歌手の一団の世話をして、一つの夢を見た

こんな風に歌っている日本の人々がどこの世界でも通じるような時代を作る

 

当時、日本では著名な作曲家と聴けば誰でも知る歌手が挙って

アメリカに興業に行くのだが、仲介に騙されて寝泊まりするところもなく

通訳もおらず、それを買って出た彼は、その一団の長とそんな話をした

 

やがて戦争が終わり、日本に来た彼が見たのは

アメリカ兵の遺児や戦争孤児を育て、働く場所をエンタメの世界に求めた女性

 

彼はやがて日本中で知らない人のいない事務所の代表になる

その彼の理想としたのがアメリカで見たボブ・ホープ

 

その理想に適うグループが現れた

彼はその才能を大いに評価し

そのグループが解散する時に取材した新聞社に

これからも(彼ら)はファンの心だけでなく

私の心にも永遠に刻み付ける素晴らしい五人、という言葉を寄せていた

 

それのみならず

自分には子どもがいないので、今まで自分の事務所にいて

辞めていった子を含めた全員に自分の財産を分配したい

それは現実的ではないにしても、奨学金の設立も考えていると

 

その記事を読んで、この人は本気で日本のエンタメ界のことを考えていて

日本から世界に通じる日本のエンターティナーを作りたいんだろうなと思った

 

それから十年近く時は過ぎて

思わぬ形で彼の財産が辞めたタレントたちの手に渡ることになり

泉下の彼は案外それを見て、形は違えど夢がかなったと思っていそうな気がした

 

そして今、彼が若い時代に夢見た、日本の歌手が日本から世界に向かっていく

その姿を一人の青年が実現させつつある

 

夢というものは見せられるものではなく、見るものなのだとしみじみと思う