鏡開き | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

今日、11日は鏡開き

剣道の道場では鏡餅として飾っていたものを砕いてお汁粉にして食べる

夫は若い頃、警察の道場で、息子は近くの学校のクラブでそれぞれ経験している

 

鏡餅というものはそもそもどこから始まったのか

 

平安の頃、丸い二つの餅を鏡と見立てて重ねて

月と日、陰と陽を現した餅鏡(もちかがみ)というものがあり

それが江戸時代に庶民に広まったとされている

 

最近はパックになり、そのまま飾り

終わると中から小さな餅を二個取り出して食べる、というのが普通になっている

 

私が子どもの頃は、町内で餅を搗き、自分たちで丸めたが

色々と来客がある伯父の家では、近くで餅を搗く店があり

そこに頼んでお盆ほどの大きな餅と、それより一回り小さい餅を頼んでいた

昔は人の手と杵で搗いていたそうだが、私が伯母から頼まれたころには

機械化された杵で搗かれていて

餅つきオートメーションになって餅の肌が悪いと伯母が嘆いていたのを思い出す

 

飾る順序は、まず、三方(さんぽう)という桧の台を用意する

たぶんこの時点で今の時代、普通の家で鏡餅を自力で飾るのは諦めると思う

 

その三方の上に白い紙を敷き、裏白(うらじろ)を二枚左右対称に敷く

裏白はシダの一種で、裏が白い、心身ともに清廉潔白であるという意味です

次に大きい餅と小さな餅を重ねて、その上に楪(ゆずりは)を二枚

楪は常緑樹で有りながら、新しい目が出ると古い葉がが落ちるということで

子々孫々の繁栄を現します

天辺に橙(だいだい)代々続いていくように

 

半世紀くらい前に伯母から聞いた記憶ですけど、たぶん合っていると思います

本来は神棚に飾るものだけど、来客を迎えるために床の間に飾ると言ってました

 

普通に考えて、江戸時代に代々続く家は公家か武家か商家で

一般庶民にはあまり関係無かったのではと思うけど

私が子どもの頃は大概の家で同様な飾りをしていた

 

その上、鏡割りになると、刃物を使うと切腹をイメージするとして

トンカチで打ったたいて割るという、突然武士道を本分としたりして

 

この鏡餅、地方によってそれぞれにとらえ方が違うようで

京都では涅槃会、釈迦が入滅した2月15日に

鏡餅を小さな霰にして、花供曽(はなくそ)として食べる風習があるとか

この花供曽はお釈迦様のハナクソという意味なのだそうだ

 

我が家では鏡餅は従業員と共に近所の商家で搗かせてもらい

丸もちを幾つか貰った後は

熨斗餅を農協に頼み、柔らかいうちに切っておき

余ると水餅にした後に寒曝しにして

皹が入って砕けてくると、揚げてアラレにして食べていた

故に鏡開きは結婚して以降、一度だけしかしたことが無い

 

今は楪も橙も、売っている店を探すほうが大変な時代になった

もっと言えば元旦にお屠蘇を飲むことも

三が日は餅と御節、などという家自体見なくなった

 

この先何年、何十年かしたら、どんなお正月になっているのだろうか