ライブ | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

夫が会社を経営していた頃、取引先への季節の挨拶に花を贈っていた

 

お中元と年末の挨拶、そして事務所用に週一回、少し離れた街の花屋さんに

お願いしていた

 

会社を、再生のために頼んだ弁護士の逮捕という、青天の霹靂で閉店し

同業者に取引先を全て紹介することを条件に従業員たちを雇って貰い

弁護士不在、そして夫はモンゴルに行っていて不在のため

銀行の好意で名義変更の手続きをするはずだったマンションを手放し

小さな戸建ての家に越して、一年ほどしたある時

その花屋さんから声をかけられた

 

まさかこんなところに自分を知っている人がいるとは思わなかったので

ちょっと警戒して振り向くと懐かしい顔が

 

当時、弁護士と一切連絡が取れなくなり

ならば銀行に公的資金の返済をと言っても今は何もしないほうが良いですと言われ

 

目の前で自宅マンションと会社と従業員が消えていうという恐怖に

少しばかりでなく荒んでいた時に救いの言葉をくれたのは

取引先の会社の監督さん達だった

我々も頑張りますから、奥さんも頑張ってください

従業員を預けた会社を伝えると、快く見積もりを依頼して貰えた

それも1社ばかりでなく

 

私は知り合いもいない町で、町内会の人たちから、暇をしているならと

強制的に高齢者の食事を作るボランティアを仰せつかり

家にぶらぶらとしていてはいけないとスーパーのアルバイトを紹介され

それまで経験したことのない世界で戸惑いながらも、新しい生活を楽しんでいた

 

そんな中で、突然、過去の人から声をかけられて

久しぶりに聞く会社の名前

 

彼は、今、同じ町に住み、歌を教えているという

 

そういえば当時お店の子がこの人凄い方なんですと話していたっけ

などと思いながら、どんな歌を、というと、シャンソンだという

 

今度ライブをするのでよかったら見に来てください

そのライブ会場で同席したお客さんから、彼が、嘗て銀座の銀巴里で

美輪明宏さんと同じ舞台に立っていたと教えられた

 

何度目か聞きに行き、次回は、と話したのちにコロナ自粛が始まった

歌を唄う人にとっては、とても厳しい状況だったろうと思うと

簡単に連絡を取ることが出来なかった

 

コロナが沈静化し始めた頃

ボサノバを歌う娘さんが再びライブを始めたという連絡をくれたので

彼にその後のことを聞くと、一度閉めた教室を開くのは難しいとのことだった

 

今日、八代亜紀さんの訃報を知って

 

再び彼がどこかの街角で後ろから声をかけて

ライブをやりますからと誘ってくれないかなと、そんなふうに思っている