明日は一月七日
人日として七種類の野草を刻んでお粥にして食べて邪気を払う日
これは古く中国の長江の中流、荊楚地方、今の湖北、湖南省の
年中行事や風俗を著した荊楚歳時記に始まり
日本には江戸時代に伝わったとされている
なのに大正時代にスペイン風邪が流行った後に
日本ではこんな流行り歌が出来たとか
七草薺、唐土の鳥の日本の国に渡らぬ先に
この歌を唄いながら、包丁で大きく音を立てて七種類の野草を刻んでいく
唐土とは唐の国、中国にあった王朝のこと
芹、薺、御形、繁縷、佛の座、菘、蘿蔔と定めたのも日本の江戸時代
日本には古くから浅い春に野に出て野草を摘んで食べる風習があり
古今集には光孝天皇の歌として
君がため 春の野に出(い)でて 若菜摘む 我が衣でに雪は降りつつ
と認められている
嘗ての文学者に、衣手、着物の片袖は恋の告白として
思う女性のために摘んでいたと解釈する人がいましたが
若き皇子が袖に雪が積もるほど夢中になっていることなのかと
微笑ましくもあり
この頃の若菜は早蕨(さわらび)として志貴皇子が
岩ばしる垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりけるかも
と詠んでいる
この早蕨で刈萱に刺さった蛇を助けた逸話があり、
野山で蛇に会ったら、垂水の国の早蕨の恩を忘れたか、というと
蛇はよけていくという言い伝えがあるそうだけど
とりあえず出会ったら、こちら側が懸命に避けているので、唱える余裕はまだない
以前、ゴルフ場に行くと、ああ出そうだなと思うと必ず蛇が出ていたので
なるべくそう思わないようにしている
蛇は野山に出ると思っている人も多いだろうけど
横浜の本牧の某マンションの植え込みには1mを超えた青大将がいて
管理人さんが悲鳴を上げていたのに出くわしたので、油断はならない
で、七草、芹はそのまま、薺はナズナ、いわゆるぺんぺん草
御形は母子草 繁縷はハコベ、佛の座は田平子という黄色い花が咲く野草
菘は蕪、蘿蔔は大根
せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞ春の七草
と覚えると、昔古文で習った
人日とは楚荊歳時記の節供の一つで
1月1日は鶏の日、2日は狗、3日は羊、4日は猪、5日は牛で、6日は馬
それぞれ食べることを禁じられている日であり
7日の人日は処刑を免れる日で有ったとか
三国志の中国と万葉集の日本とでは野に出でて草を摘むことに対する表現が
斯くも異なるものなのかと思ったのも遠い昔
古文の担任が母の幼馴染と知ったのは高校卒業間近だった
そんな我が家では、万葉集の歌に相応しく
恋の予感 という広島県産のお米を使ったドライ七草がゆというものが
用意してあるので、まな板でトントンすることは無いようだ
思わず、何故、何故、と、口遊みそうだけど
1月7日は、数えの七つに七軒の家に粥を貰いに行くという習わしと共に、顔も覚えていない、島津の家から嫁いできた父方の祖母に想いを馳せる日でもある