xで知り合った人との年始のあいさつを交わしている時に
羽田空港付近から火の手が上がっているという書き込みを見て
テレビを点けると、NHKで飛行機同士の衝突と報じていた
民間機と被災地へ向かう飛行機が衝突したと
まるでフイルムが弾けたように、1985年8月12日の夕方六時過ぎに
テレビに流れたテロップが脳裏に浮かんできた
飛行機が行方不明だって
あんな大きなものが?
その数分後、Yさんの名前が流れた、と、誰かが言った
画面を見ると、スローモーションのように
夫の会社の経理を担当している人の名前が画面の中を過ぎていく
夫とは三つほど年が離れ、夫は弟のように、たぶん夫は依存もしていたと思う
会社に電話をしてみろ、彼は携帯を持っているから連絡が取れるはずだ
事務所に誰かいるだろう、そういう夫の語気に気おされて急いでかけると
いつもはいない受付の女性が、何度かけても繋がいつも繋がらないのです
と、悲鳴のような声で返事をした
後にその時間には既に御巣鷹山に突っ込んでいたと知った
8月12日、夫の会社の決算の最終打ち合わせをする日だった
その12日は行かれない、という彼に、なんで?と
私は決算を組み終えなければ子ども達の夏休みに付き合えない
そんな苛立ちと約束を反故にされた怒りが湧いてきて、声を荒げて詰問した
19日には行けるから、社長にそう伝えて、19日、分かった?と
彼は念を押して、電話を切った
それまで、変更する時はそのことを明確に説明していたのに
その時はただ、その日はいけない、と
それから時間が流れ、彼は身重な奥さんによって19日に発見という確認がされた
その日夢を見た
決算の資料を見て貰いながら、ああ、何だ、あれは夢だったのか
Yさんが飛行機に乗っていてね
返事をしない彼に決算の資料を渡そうとしたとき
真っ暗な世界になって、遠くを一機の飛行機が飛んで行った
その窓には笑顔で誰かと話す彼がいた
後に彼は当時の経理会社の同僚の都合で
急遽その飛行機に乗ることになったことと
彼が経理会社を興した頃からの同僚が一緒だったと知った
彼らと数人で経理会社を興し、その最初の二人を失くした社長は
まるで彼らを追うように同じ年にあっけなく逝ってしまった
夫はいっぺんに頼りにしていた人を失くしてしまったのだ
Y氏は飛行機に乗る前日、夫と直接会って
12日には来られないことを伝え
お酒を飲んで、自分が父親になることを伝え、夫と祝杯を挙げて来たと
父親になるんだって
夫はその後、彼に関する話には一切触れることは無かった
テレビの中で状況を伝えるアナウンサーの声が心なしか震えている
途中、民間機の乗客の全員無事が伝えられたが、未確認です、と
その後速報で民間機の乗客は全員無事だと流れた
海上保安庁の方々にはお気の毒だが、民間の乗客がみんなが無事で本当に良かった
と、そう思っていると
娘から、あの飛行機は東日本大震災の時に津波の被害に遭った機体だと教えられた
そのことが一因でなどではないことを心から祈りたいが
徹底的な究明をし貰いたいとも思う一方で
人は多くの偶然の積み合わせの中で生きてるのだということを実感した
今生きていることが奇跡なのかもしれない