大晦日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

俳句の季語では 大晦日(おおみそか、おおつごもり)大三十日(おおみそか)

大年(おおとし)大歳(おおどし)除日(じょにち)と表現されている

 

毎月の末を晦日といい、嘗ては掛買い=ツケで買っていたものの支払い日

来月こそはと先延ばししていたものがとうとう年の瀬になり大晦日の日には

大事な仕事道具を質屋に入れてでも払わなくてはならない

 

正岡子規も同様に借金の支払いに追われていたらしく

漱石が来て虚子が来て大三十日 という俳句を作っている

 

そんなふうに貧しい庶民には限りなく慌ただしい大晦日

 

会社を経営している頃、独身の従業員は寒い田舎に帰るより

都会で過ごすほうが良いという理由で我が家にやって来て

私が作ったおせち料理を食べながら紅白を見るのが習わしになっていた

 

私も支度を終えて、マージャンを始めた彼らに交じって

それはスカートめくりだなんて言われながらガラガラと音を立てていると

事務所のほうのチャイムが鳴る

 

出ていくと、スーツ姿の男性が二人

 

一人は取引銀行の支店長

もう一人は見たことのない人

 

支店長は恐縮しながらも、会社の通帳にある普通預金を定期にして欲しいと

隣の男性はただもじもじとして目を合わせることも無い

 

理由を聞く前に店長が話し出す

彼の数字がどうしても足りなくて誠に申し訳ないのですが

 

こちらも事業資金や手形の割引でお世話になっている身

むげに断ることも出来ず

翌年の銀行開始日には定期を解約し普通に戻すという形て

印鑑などを用意する

 

その間も隣の男性は話さない

 

それは、その銀行に金融庁の指導が入るまで続いていた

別に年の瀬にお願いに来たからではなく、もっと大きなことでの話だが

 

そんなふうに支店長に連れられてきた人は誰一人挨拶をすることが無かった

 

毎年、大晦日の、除夜の鐘が鳴る頃になるとそのことを思い出す

 

今の時代は大晦日の真夜中に部下を連れて得意先になど行けば

そちらのほうが問題になるのかもしれない

 

何年か前に、元になった従業員に

そういえば大晦日になると銀行の人が来てたけど

あれって、取り立てですか、というので

大晦日に銀行はやっていないでしょうというと

ああそうか、と

 

その先のことは同じ支店に通帳を持っている彼には話さなかった

 

思えばあの状況もまた、懐かしい人生の一コマ、であり

 

数えの年では、明日私はまた一つ年を取ることになる