生まれて初めて地下鉄というものに乗ったのは赤い色した丸の内線
銀座から四谷のテレビ局に行くとき
この電車、猫の、地下鉄に乗っての歌詞の
赤坂見附辺り、で陸に出てテニスコートが見える
その光景をうっかり眺めていたら、四ツ谷駅に着き
降りようとしてもドアの前の人達がどいてくれない
横浜から出て来たばかりの娘っ子は大きな声が出せない
小さな声ですいませんと言っても、前の人達は岩のように動いてくれない
その時、後ろからすごい勢いで押された
押し出された途端ドアがプシューといって閉まった
電車が行ってしまったプラットホームには私だけが立っていたので
誰か親切な人が押してくれたのだと分かった
その時以来、混んでいる地下鉄で座ることが出来なくて
いつもドアの近くに立っている
それから暫くして、今度は都営地下鉄で
発売されたばかりのカップヌードルのCMのテープを貰うために
京橋の東京本社に行った
そのビルは新しく建てたばかりで、地下鉄の入り口はビルの中にあったように思う
用事を済ませた私は、何を思ったか、ビルの外に出て、地下鉄の駅を探した
今でもよくわからないが、当時、地下鉄になれていない人間にとって
入口を探すのは並大抵のことでは無かった
その上、自慢にもならないが私は致命的な方向音痴を自負していた
その当時携帯など影も形も、見たこともなく、公衆電話さえ見つからない
ちゃんと把握していれば、地下鉄で銀座から京橋まで 何なら歩いたほうが近いくらい
なのに、近所にいる人に銀座はどっちですか?と聞いても、知らね、という返事
しまいには波の音まで聞こえてきて
辺りがすっかり暗くなった頃、明りのついた酒屋さんでお酒を飲んでいる人に
地下鉄の駅はどこですか、と聞いたら、顎で、そこ、と
八丁堀と書かれた入り口を教えてくれた
そして漸く会社に戻った私は、退社せずに待っていた諸先輩から
横浜に船で帰るつもりだったのかと物凄く叱られたわけで
その後は極力歩くかバスの陸地を移動することにしたので
港区の地理は今でもある程度思い出せる
次回迷っても勝鬨橋に向かうことはたぶん無いと思う