東京の出版社に行っている頃
あがた森魚の赤色エレジーという歌が流行っていた
私の仕事はテレビのCMの時間割計算
私が最も苦手とするもの
数学の時間は、正面を向いて、目を開けたまま眠るという特殊技能まで習得したくらい
だいたいにおいて、小学一年から四年生までの算数は習っておらず
高校時代に平行四辺形を書けと言われて、小学校のおさらいだから簡単だろうと
私はそれを定規を使わず、ラフで書いて、数学の教師から、豆腐屋の娘かと言われたほど
実際今も良く分からないので、隣の娘に確認したら
私はもう随分と長い間小学校に通ってないから分からないと言われた
なのに何故か最初に就いたのは、一分の何分の一かを持ち寄って合計を出す作業
食事を済ませた後、退屈で、窓際に座り、銀座の街を見下ろしながら仕事をしていると
午後一時半頃、耐え難い睡魔が襲ってくる
なので歌を口遊む
けして大きな声で歌っているつもりはない
あれは確かガロという雑誌に掲載された劇画から生まれた歌だったと思う
昭和余年は春も宵…おふとんもひとつほしいわね
さくらといちろうのものがたり♩
たいそう気分よく歌っていたら、あまり会話をしたことのない
大阪弁の、みんながボスと呼ぶ所長が隣に立って
その歌詞をメモってくれという
事務の女性はあまりに煩いからボスがわざわざ注意しに行ったのよと
歌うことを禁じて来た
私は歌詞をメモって、ボスのところに行き、歌ってはダメですかと聞くと
サンタクロースのような体型のボスが、ホ、ホ、ホと笑った
事務所で歌を歌いながら仕事をしてはダメでしょ、それも、甲高い声で
と今の私なら言うのだろうけど
ボスは、Sさん、君は僕の名前を憶えているかな、という
はい、〇〇〇、、、いちろう、、
今度はボスは声を上げて笑い出した
この歌をね、集まりで歌おうと思って
あとで歌も教えてくれたまえ
ボスが行く会議は、電通とか博報堂とか、オリコミとか
テレビのキー局とかそういう関係の人が集まるところと
漠然と知っていたけど、そこでサンタクロースのようなボスが歌うというのだ
そんな無謀なことはやめたほうがいいです、言えるほど馴染んでもいない新人の頃
私はとんでもないことですと、歌を教えることはしなかった
帰社した先輩記者にその話をしたら、教えてあげればよかったのに
あのボスが赤色エレジーを歌うところを俺も見てみたいと言っていた
私はどうも貧しげな歌が好きなようで
認知症になった夫に、三橋美智也の、東京の鳩 という歌を毎日聞かせていたら
そのうち夫も一緒に歌い出していた
そして何日かすると、たまに私のことも忘れる
要介護4の夫は、歌詞を見ることもなくその歌を歌い切った
それを見て、あの時のボスも本気であの歌を唄いたかったのかもしれないと思った