皹のある手で売られたる年の花 海涛
11月も残り10日を切った
今の頃になると、港の見える丘から降りてくる鵯が甲高い声で鳴き出し、仕事師の野沢のおじさんが大量の竹と若松としめ縄をリヤカーに積んでやって来る
洗濯物を干すための丸太に竹を括り付け、間に注連縄を張り、玄関の脇に若松をが飾り、御祝儀を受け取って帰る
いつもは下の息子さんが一緒に来るのだが、その年は一人だった
母が聞くと、ハンチクな倅で、と
息子さんはグループサウンズのボーカルになったそうだが、私は当時行きたい高校があり、推薦を取るために勉強に勤しみ、テレビを観ることは一切無かったから、当時のグループサウンズについては一切知らずに成長してしまった
結果、高校は母と伯母と伯父の心遣いで徒歩で行かれるところに行かされ、推薦枠は担任の意向で隣のクラスの親しくもない子に譲ったから、自分の子ども達には無理に受験勉強をさせるのをやめた
町に正月飾りが施されると、一軒だけあるパン屋さんの入り口に奴凧が飾られる
少し年上の子は肥後守というナイフで竹ひごをつくり、タコ糸を使って自前の奴凧を作る
出来上がると新聞で脚を作り、海に向かって揚げる
そのうち高さの競争になり、やがて喧嘩凧になり、どちらかが海に落ちていく
すると、落ちた方は泣きながら家に帰ってしまう
泣くのならやらなければいいのに、と思いながら年は暮れていく
正月になると着物姿で道路に出て羽根つきをしたり、独楽回しをしたり、メンコをしたり、獅子舞が来たり、昨日までの暮れとは打って変わって賑やかな町になる
烏兎匆々時が過ぎ、いつの間にか年の瀬と新年の堺が無くなり、庭先に注連縄を張る家も見なくなった
句読点の無い一年を送るようになったのはいつ頃からだろうか
どこからか、仕事師のおじさんの、人間がみんなハンチクになっちまったという声が聞こえてきそうだ