横浜の名物とすると、悩む
元々が埋め立て地とひなびた漁村だった横浜の名物は
小港から三渓園の前(さき)の
浜で獲れる青柳を串に刺して干したもの、と母から教えられた
私が子どもの頃まで三渓園の裏門の先の上海横浜友好公園の辺りから先は遠浅の海で、次姉と二人でバスに乗ってほ浅蜊掘りに行って、バケツにいっぱいにして帰った思い出があるが、青柳の串刺しは食べたことがない
母の姉、伯母の家にお世話になっていた頃、伯父は中華街の清風楼の焼売とおめざ(目覚まし)のキャンディーを買ってきてくれて、妹の枕元には赤い苺の、私の枕元にはオレンジのキャンディーを置いてくれて
ある時、伯父の高校時代の青木雨彦氏の薦めとかで醤油を入れる瓢箪が入った焼売を買ってきた
瓢箪には当時の朝日新聞のアニメふくちゃんの作者によってひょうきんな顔が描かれていた
私と妹はそれをとても喜んだそうで、随分と大きくなるまで伯母の家に行くと、伯父が前の日に買ってきたという焼売があった
その後焼売に不二家のカッププリンが加わり、私が高校生の頃には再び清風楼の焼売になっていた
たぶん伯父は清風楼の焼売が好みだったのだろう
コロナで遠ざかっていた中華街に数年振りに行ったら、中学時代の同級生や先輩の店の入り口にテナント募集の報せがあって、オリエンタルホテルも無くなっていて、半分知らない街になった気がした
そして中華街に崎陽軒がある事実を知った
先日のビートたけしの時代は変わっていくという言葉を反芻した
で、崎陽軒に行くと、瓢箪が神奈川県警とコラボしているというので思わず買ってしまった
我が家の台所ではそんな風に思わず買ってしまった焼売のオマケの瓢箪が引き出し一つを占領している
娘に見つかれば、また買ったのと言われ、大掃除の頃に
引き出しを確認されると、これどうするの、と
まもなく大掃除の時節だ
どうしよう
因みに崎陽軒の焼売は順海閣の創業者の指導のもとに出来たのだそう