数えの七歳の一月に
私は鹿児島で暮らす父のもとに
母と妹と三人で帰り
父の母、私の祖母の郷里の伝統である七五三参りをした
お茶碗を持って七軒の家に七草がゆを貰って歩く
付き添いはすぐ上の姉
私が六歳だから十一歳だったと思う
晴れやかな着物は母の姉が娘に着せたお下がり
残念ながら写真は無い
それでも七五三の時期になると
白地に色とりどりの菊の花の鮮やかな着物ははっきりと思い出せる
それでありながら、祖母の顔はもちろん
父がその時どんな顔をしていたかは全く思い出せない
姉は後にその時の話をしてくれたが
私と妹が全く喧嘩をしなかったことに驚いたと
その話だけだった
母もまた私が妹と一度も喧嘩をしたことが無いと
そのことを何度も繰り返して言っていた
私は何で妹と喧嘩をしなかったのか
考えてみた
結局理由は分からない
だからと言って妹と仲が良かったのかというと
それも定かではない
何故なら私は妹と遊んだ記憶は無いからだ
ある時七五三の衣裳で歩く子ども達を見かけて
思い出した
私の母は私と妹と三人で自分の実家に帰り
その際、暫くの間母の姉の家にお世話になった時に
伯母が妹を哀れんだのか、常に背中に背負っていて
それが気に入らなかったのだろう
従兄に造成地に置き去りにされたことが有り
妹を連れて不案内な街を伯母の家に戻るときに
妹が私の手を握り締めて懸命に歩く姿に
妹は私が守るしかないと
そう心に決めたことを
その妹も私と同様に老いて
今はあの頃のように私の手を握り締めるほど弱くもなく
何なら私の言葉など疎ましくさえ思えるようなお年頃になった
あの七五三の姿のお姉ちゃんの手を必死に握っていた男の子のように
あの時の妹みたいに、もう少し可愛げがあってもいいのに
七五三の日の今日、私はそんなくだらないことを思っている
