最近のネット上の記事を見ていると
戦後の日本はアメリカからの考えを押し付けられているから
という発言をする人をよく見かけるけど
この数か月生じている芸能事務所の問題に関する記事を読んでいて
日本のメディアは侍の瓦版の時代から全く変わらないのではと思えてくる
一旦仕えた殿様には何を差し置いても仕えなければならない。
脱藩した人間は二度と日の目を拝めなくする。
一方で
創業者が悪事を働いたのだから、お家断絶は当然
創業者の名前はおろか創業者のshow mast go onという言葉で
タレントたちが何年も何十年も努力を重ねて培ってきたidentityさえも
認めるべきではないという風潮に誘導する記事が有り。
全く気がつかないでいるのか
知っていてワザと書いて問題提起をしているのか。
夫が50年以上前に欧州からアジアへの旅をしてきたことに関しての
資料を作っている時に
東南アジアの大陸が多くの国による支配と敗退を繰り返し、
その度にその地に多くの国の民族が住み着いていることが分かった。
そしてその人たちは今でも自己のidentityを
取り戻すための戦いを続けているということも。
自由の国と言われるアメリカの住民は元々狩猟民族で、その後スペインの領地になり
イギリスから武器とともにやってきた人々に制覇されていく。
制覇した側が旧英国人という単体民族だったから
250年ほど大国として成り立っているわけで、自由の国としながら
実際は自由とは程遠い、いろいろな法律により行動を規制された国でもある。
過日、埼玉の県議が子ども達を置いての外出についての法律を提案し
世論に押されて撤回したけれど
アメリカでは州により子どもだけでの通学も
買い物も留守番も、車の中に置き去りにすることも禁じられていたりする。
それも州に依っては16歳までの子まで。
日本の子どもの通学風景を見て子どもの徒歩通学を提唱する人が
少なからず現れたというが、それでも2キロ以内とか警備員が同行してとか
ほんの数日前の渋谷でのハロウィンについても
アメリカではパブリックスペースでの飲酒は禁じられている州が大半だから
ネットで流れた自由にアルコールを飲み歩く様子に魅せられて日本に来た
という外国人の声が多くあったとのこと。
またアルコールを提供する店に入るときには21歳であるという
日本のマイナンバーカードのようなものが必要であること等など。
電車の中で出もビールの缶を開けて飲んでいる人のいる
日本では考えられないような法律や規則で縛られている。
そして何より、戦争のさ中、クリスマスには休戦をしなければならない。
日本人である私からすれば、クリスマスに休戦出来るなら
戦争自体をやめれば良いのにと思うし
今どきの日本人はお正月は無論
国で定めた祭日の日はおろか天皇陛下のお誕生の日にでさえ
日の丸を掲げる家は壱町内に一軒あるかないかなのに、とも思う。
日常の中でも、私が母の仕事で米軍の近所に住んでいた時
子どもに新しい服を着せることは好ましくないと言われて
私は近隣の子のおさがりを常に着ていたし
アメリカの子が行く幼稚園に入ったら
おにぎりに入っている梅干しの種を
一旦口に入れたものを出してはいけないとすごく厳しく叱られて
それに呆れた母により転園させられた過去があるし。
子どもだけでアメリカの主婦御用達のスーパーに買い物に行くと
あからさまに邪魔者扱いをされて
うっかり通路を塞げば、Excuse me!叱られて。
これは失礼とかそんな生易しいものではなく
邪魔だ、どけ、という意味なのだ。
当然子どもだって買い物をしているわけだから
shopping now!と返事をせねばならず。
日本の八百屋さんでは声をかけない限りずっと立っていて
最後に何が貰えるかというなぞなぞの答え
に日が暮れるというくらい牧歌的で。
その八百屋さんや乾物屋さんの言葉に
この子このあたりで見かけないという常套句があるように
地域の大人たちがそれとなく見守っていてくれて
ここ数年のコロナ禍にしても
都知事のソーシャルディスタンスとか密ですとか
そんな公報はあったけれど、出歩いたからと言って
何処かに収監されるわけで絵もなく、罰金を徴収されるわけでもなく。
そんなふうに、目に見えない不文律で縛る文化は
最近のネット上で加速しているように思える。
なんてことを考えながら江戸城が無血開城された年から
今年までを計算したら150年。
それほど大昔でもなかった。