紙風船 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

子どもの頃、我が家の玄関の壁には油紙の袋がぶら下げられていて

年に一度ほどバイクの荷台に黒い皮で覆われた数段の引き出しを重ねて持ってきて

その袋の中を改めて、新しい薬を足して帰るおじさんがいた。

 

薬は使い切るまで何年も袋の中に入ったまま。

賞味期限とか消費期限とかそんなのは聞いたことも無かった。

 

玄関の上がり框で荷物を広げると、小さなこどもは身を乗り出して

そのおじさんの手許を凝視する。

 

お金の支払いを終えると、おじさんは紙で作った四角い風船を一つ

手渡してくれる。

 

子どもの頃のおもちゃ屋といえば元町のUNIONの前にある

YOSHIDAと、後にマクドナルドになり、今は別の店になっている

出口(石川町駅側)の左角にあった半間ほどの小さな店くらいだった。

 

その店で妹が赤い帽子を被ったママー人形を買って貰って

背中に背負って歩く姿が外国人に受けていたのを思い出す。

 

もう一つ、道路を渡った先にある駄菓子屋さんでは、紙に印刷された

着せ替え人形やリリアンやキューピー人形や色とりどりのビニル紐が

売られていたが、母は幼い頃一番下の弟を当時流行った疫痢で亡くしたことで

祖母から駄菓子屋で買い物をすることを禁じられていて、孫である私たちも

やはり禁じられていたので大っぴらに買ったことは無かった。

 

そのせいなのか、大人になって駄菓子屋に行くと意味なくビニル紐を買ったり

酢昆布を買ったり、スモモを買ったり、紙の着せ替え人形を買ったり

きいちの塗り絵を買ったりして、うっぷんを晴らした時期が有った。

紙で出来ている着せ替え人形の花嫁姿は今でも色鮮やかに思い出せるほど

美しかった。

 

薬を持ってきたおじさんは富山県から泊りがけで来る、越中富山の薬売りと

言われる人で

長い間おじさんがカブというバイクで富山からやってくるものだと思い込んでいたが、

私が結婚して数年後に、そのおじさんが横浜の滞在先で亡くなられたと知り

そのおじさんが日本津々浦々に赴いてその地で数日間を過ごしながら

薬を売り歩いているという事実を知った。

まるで実写版寅さんのようなその人の人生の背景を知りたかったと今も思う。

 

おじさんがくれる紙風船は四角くて

何度か飛ばすと簡単に破けてしまうものだったけど

どんな玩具よりも嬉しくて。

だから四角い風船に出会いたくて、旅先の土産屋に行くと必ず

風船を探すのだけど、今を持って四角い風船には巡り合えていない。

 

 

 

横浜の南区に有ったお店。