白鳥(はくてふ) | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

白鳥はかなしからずや

空の青 海の青にもそまずただよふ

若山牧水

 

白鳥をはくちょうと読むのか、しらとりと読むのか

中学の国語の授業で争議になり

白鳥をはくちょうと読めば海というのは

おかしいという話になった

当時の都会の中学生は白鳥が渡り鳥だということを

知らなかったようだ

 

それから何年かして、牧水が明治40年に出した詩集には

白鳥に はくてふ とルビをふっていたことを知り

それまでの海の青さとは違う濃い青さの海が浮かんできた。

 

白鳥というと

震災から数年後、被災地への転勤を希望したが叶わなかった娘が

ボランティアのために足繫く通った岩手県に同行したとき

開運橋を渡っていると、岩手山のほうから

北上川の水面に数羽の白鳥が着水する様子を見つけた

 

あの時ほど自然の世界に感激したことは無かった

 

白鳥に関してはずっと以前に夫の郷里である

福島の阿武隈川の河畔にいる白鳥を見たことが有るのだけど

餌を貰っているからだろうか、いろいろな鳥と混ざって

集団で襲ってきたという感じが相応しい様子だったから

 

遠い空からやってくる様子は初めてだった。

それを見ていた娘が白鳥の飛来地である

高松の池まで行ってみようといい

バズに乗り継いで出かけた

この池はもともとは湿地帯だったそうで

池の脇にはそ名残のような小さな湿原がある。

そしてまた池の周りは 

日露戦争 の戦勝を記念して住民たちが植えたという

桜の木で囲まれている

 

2月の中過ぎに行った池は半分凍てついて

私は飛来してくる白鳥たちが滑り込んでくる様子を

飽きることなく眺めていた。

 

そして暫くして気がついた

この鳥たちは日本で冬を過ごすために

遠くシベリアの大地から飛来してきたのだと。

 

白鳥や鶴などの真っ白な大きな鳥達が

長い時間をかけてベーリング海峡を渡ってくる

その姿を思い浮かべながら

白鳥は悲しからずや海の青空の青にも染まず漂う

という詩を読み返すと

それまでの孤高という印象とは全く違う

覚悟のような思いが湧いてくる

 

その鳥たちが春になりシベリアの地に帰っていく様子を

北帰行というそうだ。

三々五々にやって来た鳥たちが一斉に飛び立っていく。

 

それもまた大きな覚悟を持って飛び立っていくのだろう