その花の名前は、その昔、村が一つの単位として生活していた頃
村の外れの彼の地に植えられたことに由来するとか。
他の村が飢餓になり、その村人が襲ってきた時
彼岸に植えられたその花の球根を食べて命果ててくれることを
目的として。
そのことが書かれた本を読んだとき
次姉がどこからか彼岸花を持ち帰り
お隣のおばさんからそんな不吉な花を家に入れては
いけないと叱られていたのを思い出して
村が単位という世界は
そう遠くない時代まであったのだと実感した
彼岸花は曼殊沙華ともいうが、そのほかにもいろいろな名前が有り
熊本の高校の生徒が調べた結果、中国や韓国も含めて
1000以上の異名がることが分かったそうだ
因みに俳句の季語集には
死人(死人)花、天蓋花、幽霊花、捨て子花、狐花、三昧花
したまがり、まんじゅさげ
とちょっとオドロオドロシイ名前が並んでいる
埼玉県の高麗市の巾着田というところは彼岸花が群生していることで有名だが
この地はその昔
高麗の地で戦に敗れた王子とその一族がその時代の天皇に助けを求めてきて
天皇はその地に王子とその一族を匿ったという伝説があり
今でも多くの朝鮮国の血族が暮らしていると言われているのだが
巾着田に咲く彼岸花が彼岸の地の役割を果たしたのかどうかは
分からない。
何故かというと、韓国では花と葉が季節を違えて出るというので
花葉不相見として、お互いが思う合う相思花とされているとか。
なので、倭国に逃れた高麗の王子が海を隔てた国に残した民を
思って植えた花のほうが相応しい気がする。
彼岸花は原産地が中国で、日本では有史以来日本に咲いているそうなので
黒船に乗って浦賀の沖からやってきた彼岸花とは異なるとか。
因みにアメリカでは彼岸花をリコリスといい
最近はいろいろな色の花が売られて、
家の庭にも咲かせているのをよく見かけるようになったので
村社会の伝統は廃れつつあるのかもしれない。
巾着田の近くにある石碑の脇に咲く彼岸花
