1980年代には
昭和から平成に変わるというとても大きな出来事が有りました。
昭和天皇のご崩御です。
日ごろはそれほど意識もしていない人たちまで
天皇陛下のご体調を報じるニュースに一喜一憂して年の瀬を送り
明けたⅠ月7日に御崩御のニュースが流れると
各テレビ局が歌舞音曲の儀を自粛する旨を一斉に報じて。
昭和天皇の葬儀に当たる大喪の礼が行われたのは2月24日。
終日雨の降る寒い一日でしたが
その中を見送る人の列は御所から新宿御苑まで途切れることが無かったと
報じられていました。
その新宿御苑での葬場殿の儀で棺を運ぶ役割をしたのは
八瀬の童子と呼ばれる人たち。元年の応仁の乱の際、背中に矢を受けた大海人皇子が
この地の墓守により傷を癒されたことから墓守を
「矢背」または「癒背」転じて「八瀬」として
代々の天皇陛下の棺を運ぶ役割をして来たと聞きました。
昭和天皇のご葬儀の際も、その子孫の方々がその役割を果たしたとか。
当時、テレビや本の世界では差別用語を悉く禁じるようになり
歌や本に書くことも禁じられて行きました。
ある小説家が怒りで筆を折ると宣言したことが有りましたが
八瀬の童子の由来を聞いた私は
たぶんこの伝統は昭和天皇の時代で終わるのだろうとそう思いました。
その後、平成も10年ほど過ぎた頃
北海道からの職人さんを雇用するために診断書を取り寄せたら
驚くような診断書が届きました。
診断の結果、〇かち 〇んぼ 〇たわ 〇〇がい 。。ではない。。など。
私が子どもの頃当たり前に使っていた言葉の多くは公的には
禁止用語になっていますが、日常の中では普通に使っていたりします。
全ての言葉を禁じてしまったら
家族間でもとても丁寧な会話をする世界になるのだろうかと思ったりして。
今も診断書は手元に有りますがそのまま載せてしまうと
あまりよくない気がするので止めておきます。
1989年3月10日発行のアサヒグラフから
