団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見てその夢を叶えた話(結婚式) | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

結婚式は瑞巌寺で挙げたつもりでいたところ

夫の妹が一応は親族を集めて結婚式をしたほうが良いということで

中華街の、今は横浜大世界がある場所にあった

赤い柱が特徴の陽華楼という、私の中学の同級生のお父さんが経営して

母の友人が経理をしているお店で

披露宴という形での式を挙げることにしました。

 

大広間で宴が終わり、代金を支払いに行くと、お祝い事をタダというのは

良くないから、十万円と言われて、誰よりも母が驚いていました。

何しろ親族の顔合わせの時の代金よりずっと安かったのですから。

 

戦時中中国に赴任していたことのある父の話では、大陸の人というのは

自分の知り合いに対してそれほどに懐が深いのだという話でした。

 

後年、夫がモンゴルに行っている最中に働いてくれている人の家でお正月のお祝いの席に

呼ばれて家族の皆さんと寛いでいる姿を写真で見て

父もこんな風に中国の人たちと過ごしたのだろうかとそんな想像をしたことが有ります。

 

私が参列した結婚式で一番豪勢だと思ったのは

船舶のおじさんの望む、私の伯父の姪である私の姉と船舶のおじさんの甥の式でした。

その人は東京の佃煮屋さんの親族の養子になっていたので

父も母もそれほど違和感なく受け入れたそうです。

 

場所は当時出来たばかりのシルクホテルの大広間の杮落しで

フランス料理のフルコースで

テーブルには数えきれないほどのナイフとフォークが並べられて。

 

仲人さんは時折ニュースに出る横浜の人のお父さんで、参列者は4百人程。

参列者の大半が議員さんと会社の社長さんで。

 

いろいろな方の長い長い祝辞が続き

その間に姉は三度のお色直しをして。

着物は全て母が幼い頃からなじみにしている呉服屋さんで反物から仕立て

朱色の熨斗目模様の着物は私の、

赤とピンクの総絞りの着物は妹の成人式の着物となり。

 

後に袂を切って留袖にする真っ白な地の着物に高島田の姉と義兄が

紫の傘を挿して参列者の中を練り歩き。

 

末席にいる親族には上席でいったい何が起こっているのかさえ見えず。

 

母の友人が、姉を、本当に父親に似て美人で、よかったわねと褒めていて

母が物凄く嫌な顔をしていたのも懐かしいです。

 

この挙式に当たり

伯父が思いもよらぬ持参品を姉に持たせたのだそうですが

後にそのことで船舶のおじさんは国会の場に呼ばれることになったようです。

まさに世にいう政略結婚とはこんな風なのかという感じでした。

 

そしてもう一つ、団塊の世代の人の好む結婚式に教会での挙式が有りました。

日曜学校に通っていた私は式の当日賛美歌を歌う一員として参加し

中学生の男子は教会の鐘を鳴らす役割をしました。

 

式が終わると、外に風船や紙の花が飾られた車の後ろに空き缶が繋がれた

オープンカーが待っていて

式を終えた二人はライスシャワーを浴びて、タキシードとドレスのまま

その車に乗って海岸通りから山下公園方面に走っていく。

 

たぶんそのあとどこかのお店で披露宴をするために行ったのでしょうけど

空き缶をガラガラ鳴らしながら車に乗っている二人を見送りながら

私は絶対に教会での結婚式はしないと、硬く心に誓ったものです。

 

そういえば最近、オープンカーに空き缶をくっつけて鳴らしながら走るのを

見たことが無いですが、あれは何のためにやっていたのでしょうね。