新婚旅行の起源は世界的には
19世紀以降の消費社会になってからなのだそうですが
日本人の新婚旅行の始まりは1800年代の
坂本龍馬とおりょうさんが始まりなそうで日本の勝ちなのかもしれません。
私の記憶力が確立した頃の新婚旅行の様子は
女性は当時ご成婚された皇太子妃殿下の姿を模して
白いスーツに鍔のない帽子にレースの手袋をして
男性は軍服を作らなくなった生地で多く作られたカーキ色のスーツと
当時山高帽と呼ばれたソフト帽子で
電車に乗って万歳で見送られて
遠くは宮崎県の日南海岸、近くは熱海
そして中には海外という江ノ島に行く、という駄洒落みたいな旅が定番だったような。
団塊の世代になると定番はハワイに変わり服もラフなものになっていき
夫と私はお互いに兄弟が多いので結婚式は省略し
そのお金でインドへの旅行を望んでいたのですが
半月近く従業員たちを置いていくわけにはいかず
二人で話し合った結果夫の郷里から義兄の家を訪ね
そのあと行けるとこまで行ってみようということになり。
元町のスミノで母が買ってくれたおそろいのTシャツで
箱型のクラウンに乗り、夫の郷里を目指し、家に着くと
夫の母がTシャツ姿の夫を見て
下着姿で帰ったと本気で悲しんでいたので
早々に宮城県を目指し、義兄の家に寄り
松島の瑞巌寺でお参りをしていると、住職がやって来られて
若い私達がどこから来たのかというので説明をすると
結婚式は大切なので、ここでご祈祷を受けなさいと言われて
御祈祷をして頂き、記念におしゃもじを頂いて
鹽竈港に着くと漁師さんが今採ってきたばかりだと手榴弾のようなものを
割いて、中身をくれたのだけれど、口に入れた夫と私はそれ以降
その海鞘という食べ物を一度も口にすることなく
たぶん人生を全うするんだと思えるそんな感想を抱いたものです。
その後、こけしの町に行き、小岩井農場に行き、宮沢賢治の生家を見て
つなぎ温泉で宿泊し、海を目指して曲がりくねった道を走り続け
もう少しで海岸に着くという頃、未だ切通しだった道路はぬかるんで。
そのずっと前から一台のダンプがクラクションを鳴らしながら
私達やその前の車を追い抜いて行ったのですが
どうもそのぬかるみにタイヤがはまってしまったようで。
最初は丸太を振り回して後続の車に罵声を上げて威嚇していたのですが
後続車が増えていくと数の戦いに負けたのでしょう
運転手らしき男の人が崖の上のほうに逃げてしまって。
残ったほうは車の中から鍵をかけて籠っていて。
当時若い私達が困り果てていると
あとから来られた年配の方が、優しく、怒らないから降りて来なさい。
みんなで協力するから、と声をかけて。
後続車の人たちが全員でトラックを泥濘から救い出し
出し終わった時は何故か全員で万歳を三唱したという
この時の出来事が一番印象に残ることになり。
陸前に着くと浜辺でホタテ貝を焼いて売られていて。
その大きさのホタテにも生涯二度と逢うことなく。
いつかまた来たいと思い、気がつけば今年金婚式を迎えて。
娘がお祝いを兼ねてボランティアで行っている陸前高田のイベントに招待してくれて
再び陸前への道を走りながら、いろいろなことを思い出してみたりして。
八月の終わりには夫に動画を持参して、また思い出話で楽しもうと
目論んでいる私です。
夫が一番好きなことは、私が驚くことだそうですが
私はなんどもなんどもびっくりする経験をしているので
夫の人生はかなり充実していることと思います。

