団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見てその夢を叶えた話(新興住宅) | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

団塊の世代が家庭を持つと当然家が欲しくなる訳で

何しろ8百万人ですから、横浜の郊外の雑草地も次々に切り崩され

新興住宅地となり

水道もバズも通らない安価な土地に家を建て、バスを通し

水道を通す運動をして、漸く人が住める街になり。

そうして作り上げたコミュニティーでは新しく参加した人や

近隣の地区の住人に対しては排他的になり。

 

そんな新興住宅地の最大勢力は地元の学校のPTA。

何処にこれ程支配力があるのかと思えるほど個々の家に圧をかけてくる。

 

新興住宅地は概ね会社の組合などで売り出していたために

勤め人が多く、また同じ会社の人も多く、

通勤のバスの中でも役職で呼び合っていたりする。

 

その街から転居して数年後の、東日本大震災の後に

以前暮らしていたご近所の方から驚くような電話が有りました。

 

当時ガソリンの事情もあり、いろいろな物流が止まり

お米も毎日潤沢に売られなくなっていて。

その方は一人暮らしをしていて。

 

お米が入荷するという知らせで店に行くと

開店よりずっと前から人が並び

その人達の知り合いが次々と先に入って買ってしまい、

ここ数日食べるものが無いと。

 

その町にいた頃、町内会に参加することは非常時の助け合いのため

とそんなふうに活動していた筈で

PTAの人たちも誰よりも熱心に災害に対する訓練に参加していた筈。

あれは何だったんだろう。

 

巡回バスもまだ通らないというその場所に漸く見つけたタクシーで

お米を届けに行くと、多くの家の駐車場に車が見当たらない。

 

運転手さんが言うには

今この団地に住む人の80%は60以上の高齢者とのこと。

お米を買いに行く若い人は近隣の住民だと思う、と。

この町の高齢者は車で買い出しに行くほど食べもしない。

だから店も無いと。

 

確かにお店らしいものは数軒と

小さな会員制のスーパーが一つあるだけで

それさえも当時は閉まっていて。

 

気の遠くなるような話だけれど

私が住んでいた町だけのことと思っていたら

ネット上に同じような事が書かれていたので

大方の新興住宅地はそんな状態だったのかもしれません。

 

子ども達が小学生の頃のお父さんはやはり団塊の世代の人が多く

土曜、日曜など関係なく働き、時には単身赴任で長く家庭を離れて。

運動会に出てくるお父さんは殆どが役所か銀行に勤める人で。

たまに時間がとれたから見に行ったら、一時帰休?と囁かれたと

知人がボヤいていました。

 

当然、夫は学校の行事に参加したことも無ければ

子ども達の担任の先生のことも知りません。

 

それでも見当識障害で引きおこされる帰宅願望の行き先が

子ども達が一番手のかかった頃の新興住宅地なのは

その地にそれなりの魅力が有ったということなんだろうと思います。