団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見てその夢を叶えた話(ノンポリ) | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

学生運動というものが日本で始まったのは

1910年代から1920年代の大正デモクラシーの頃で

戦後1960年代から1970年代にもっとも盛んになったそうです。

 

大正デモクラシー。

明治になって開国して西洋の文化が国民の中にも浸透し始めたなかで

政治や生活に自由と権利を求める学生の運動。

 

昭和の学生にとってはアメリカという国に支配されていることへの鬱積

そして政治的思想

 

世界の若者によるベトナム戦争でのアメリカに対するアンチテーゼ

 

風に吹かれて。虹とともに消えた恋。パフ。悲惨な戦争。

雨を見たかい。思い出のグリーングラス。

 

団塊世代の世代人たちは茶色の薄っぺらい英語辞典で

ドーナツ版のレコードやラジオから聞こえるこの歌を書き取り

歌を覚えそして口ずさむ。

学校の授業ではAdam’s Appleくらいしか覚えないのに。

 

働く青年は夜の街を練り歩く学生と機動隊を見送りながら仕事に就いて

学生たちは反戦と平等を歌いながら労働者に塗れて働く自分を誇らしく語り

労働者と共に飲む安酒が旨いと小説に書き、歌に歌う。

 

そんな頃、都市伝説だと思われるアルバイト話が若者の間で広がりました。

ベトナム戦争で犠牲になった兵士を奇麗にするために洗う仕事。

 

あの病院の地下に大きなプールほどの水槽が有り、そこにたくさんの…。

よくよく考えれば病院の地下に人が泳げるほどの大きなプールがある筈もなく。

 

それでも中には友人が行って来たと

まるで講釈師のようにその様子を事細かく語る人もいて。

 

学生運動に参加しない生徒はノンポリとして少し低く見られたと先輩が話していましたが

後輩から見ていると、黄色いヘルメットをかぶり、タオルで顔を覆ってアジ演説をする学生よりは

大人びていたように思います。

 

夫がどんなふうに学生運動を観ていたかは聞いたことが有りませんが

当時の夫には一つの確固たる夢が有り、その夢に突き進んでいたので

ヒトのことに感知する暇は無かったのかもしれません。

 

私達花のニッパチ組はだがしかし、諸先輩のお陰で受験期に大いなる受難を被り

友人たちは当日バズに乗ってどこかの施設まで連れていかれてそこで入試を受けたという話も聞きました。

当時、ラジオでも会場の変更を伝えてもいましたし。

 

因みに横浜の名店街の子弟は昭和の頃は大学に行くと無駄な遊びとプライドを覚えるということで

横浜のY高という高校に行くのが通例だったとか。

代わりに外国の店に勉強に行かされたとも聞きました。

 

昭和の時代の大人は割と合理的に生きていたのかもしれません。