宮沢賢治 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

今日は宮沢賢治が生まれた日。
 
彼は生涯を、法華経信者として、独身で暮らした。
 
 
彼の詩、雨ニモマケズ、を暗誦する授業が中学のときにありました。
 
中国国籍の友人が滔々と誦詠したのを、今も薄く思い出せます。
 
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
 
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
 
この詩にはもともと題名はなく、また出版される予定でもなく、11.3、として書かれていたことと、
 
詩のその先、があることを知ったのは、それから十年以上過ぎてからのこと。
 
南無無邊行菩薩 
南無上行菩薩
南無多寳如来
南無妙法蓮華経 
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
 
これは、法華経の曼荼羅であり、彼がその信者でもあり。
 
 
文学者の中には、それ故に、彼は「心春と修羅」の中で宇宙の法則というものを認めることが出来えた、
 
と取られる方もいる。
 
公立中学校で宗教色を出すことは認められなかったのか、学校でこのことが話題になった覚えは全くない。
 
 
十数年前、小学校の担任教師と、偶然、モトマチのユニオンのレジでお会いした。
 
そのとき、先生は唐突にその頃話題になっていた宗教についてお話をした。
 
あのような破滅的な宗教心を生み出すというのは、自分達の教え方が何処かで間違っていたのだろうか、
 
と、そう言われた。
 
私は、嘗て、ある事情で、当時新興宗教といわれた宗教の殆どの集まりに参加したことがありました。
 
そこで得たものは、
 
 例えばそれが誰かの導きにより傾倒していったとしても、
 
自分がこれまでに経験したことのない悲しみに出遭ったり、孤独になったとき、
 
人は宗教に依存していくということ。
 
それが、宗教というキグルミを着た教祖の企みであったとき、不幸な信者が出来上がる、
 
ということ。
 
 
宮沢賢治は、妹を亡くしてから、妹の死と共に、自分自身の死をも思った。
 
 
仮令悲しみがなくても、
 
『人は何処から来て、何処へ行くのか。』
 
どのような宗教を信じようと、信じていまいと、何処かで必ず涌いてくる疑問。
 
 何故ならば、人は、独りで生まれ、独りで死んでいくのだから、その孤独感を誰かと共有したい
 
という気持ちになる。
 
宮沢賢治は、それを、風の又三郎に問いかけている。
 
風の又三郎とは、彼の郷里でいう、座敷童子のこと。
 
 
泉鏡花は 小説、春昼、の中で、信仰とは、男が女に惚れている状態と同じだと、書き表している。
 
で、私は閃いた。
 
犯罪の影に女あり、というのは、男性が女性の信者と化しているからなのだろうと。
 
 
雨にも負けずといえば、千葉県館山市稲のJR内房線九重駅の近くの休耕田には、
 
東日本大震災の復興を願った、宮沢賢治の、雨にも負けず という詩を刈り込んだ
 
田んぼアートがあるそうです。