

横浜港に船でやってきた人々から、キングと呼ばれた建物です。
県庁に入ったのは、中学時代のコーラス部で 県の歌 光あらたに を歌った以来かも
しれません。
約束は10時で、到着したのが9時40分だったので、渡り廊下から
横浜港を眺めてきました。
光あらたに という歌は、昭和25年に、一般公募で出来上がった歌だそうです。
いまよみがえる町にきく
鎚の響よ黒けむり
ああ神奈川は新生の
歴史の鐘の鳴るところ
この、鎚(つち)って字が読めなかった中学時代が懐かしく思い出されます。
思えば、私が幼い頃の、関内から山下公園のあたりは、
戦災の瓦礫が取り除かれたままの更地で、風が吹けば土煙の立つような場所でした。
当時の大人たちはその様子を、関内砂漠と呼んでいたそうです。
その砂漠には、進駐軍の兵士の宿泊する かまぼこ兵舎 と称される建物が並び、
そこに寝泊りするのは、黒人の少年兵がほとんどだったとも聞いたことがあります。
私の記憶の中では、マリンタワーのあたりの裏手は、マリンタワーが立つ前までは
黄土色の土地で、凧揚げをしたり、野球をしたりする大人や子どもがいて、
とても楽しげでした。
そして、その人たちを目当てに、自転車でアイスを売っているおじさんもいました。
ですから、マリンタワーが建つと言われて、遊び場がなくなることを嘆いた子どもでもありました。
そんなことを思いながら、時間を潰し、予定時刻に恙無く仕事を終えたわけであります。