『元始女性は太陽であった。真性の人であった。今女性は月である。他に依って生き、
他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。』
雷鳥が創刊した「青鞜」の、創刊の辞。
中学三年の秋、友人が突然、真面目な声で、この言葉を諳んじたのです。
それから暫くの間、クラスの中でこの言葉が流行ったのですが、後に、あるテレビ番組の中での台詞と
知って、その友人がテレビドラマなどを見るような雰囲気でなかったので、
そのほうに驚いたものでした。
今日は雷鳥が生まれた日。
本名を平塚明(はる)といい1886年に東京で生まれ、1970年にベトナム戦争に反対しながら、
安保破棄の列に加わったのちに、85歳で亡くなったそうです。
青鞜とは、18世紀のイギリスで「新しい女性」を嘲笑的に言い表したブルーストッキングを訳して
名付けられたのだそうです。
明治の頃は、紺足袋党(こんたびとう)と。
彼女が愛した年下の男性画家、奥村博史が、自分がいることで、雷鳥が批判され、
運動を妨げることになってはいけないと言うことから認めた決別の手紙
「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。
若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」
の内容により、巷間、年下の男性の愛人を「若いツバメ」と言わしめたとか。
雷鳥というペンネームは、雷鳥の美しさと気高さに憧れたために付けられたそうですが、
夏目漱石の弟子、森田草平と塩原で心中未遂事件を起したために、父に遠慮して通名とするようになった
といわれています。
夏目漱石の三四郎の美奈子のモデルはこの雷鳥であるという文章を見つけました。
小学三年のあるとき、乾物屋さんがお釣りを間違えたので、そのことを言うと、さすが現代っ子だね
と言われました。
現代っ子だから。私たちの年代はこの言葉に象徴されているように思います。
戦時統制という抑圧の世界が消え、全ての主張を許される時代が来た、
そんな気持ちだったのでしょうか。
そして、今、私たちの年代は、一番無責任だという烙印を押されています。
特に、私たちより二つ下の年代は,三無主義の走りでもありました。
見落としたのは何か。自己責任。
世の中は、若いツバメという言葉を、夫のある身が作る年下の恋人と表現してますけれど、
この言葉を作り出した当の雷鳥は決してそのような人ではなかった。
けれど、雷鳥自身がそれを否定したことは一度もなかったとか。
そして、「燕なら春になると帰ってくるでしょう」といい、やがて同棲の後に正式に結婚し、
貧しい画家の妻として85年の生涯を終えるまで添遂げたのです。
信念と情熱に生きる人には、周りの些細な風など、受けるに足りないものなのかもしれません。
雷鳥と並べるのもおかしな話ですけど、フィギュアスケート選手の浅田真央さんをみていると、
信念と情熱に生きている、そんな風に思えます。
テレビや新聞などでは、年の近い選手と並べて、いろいろと言い立てていますけど、
彼女にとって、周りの些細な風など、試合の厳しさに比べれば受けるに足りないもの。
そんな風に思えます。
それにしても今時の若い子どもたちは、福原愛ちゃんといい、石川遼君といい、
浅田真央ちゃんといい、素晴らしいものですね。