
ミルク色の空に降り注いでいます。
梅が咲いたとなると、次は桜ということで
梅は咲いたかぁ 桜はまだかいナ 柳ゃなよなよ風次第 山吹ゃ浮気で色ばかり しょんがいな
であります。
しょんがいなといえば、大浦龍宇一という役者さんのお祖父ちゃんの高田幸吉の、
土手の柳は風任せ 好きなあの子は風任せ♪ という、大江戸出世小唄を思い出す私です。
最近、30年前の懐かしのメロディーとして、桜田淳子や、山口百恵が唄う場面をよく観ますが、
私が幼い頃の30年前の歌となると、例えば、10歳から30年前、で、大正時代ですから、
現実的に文字にすると、狼狽したりします。
ええしょんがいな ああしょんがいな♪
話は進みますが、嘗て、日本における流行歌について調べたことがありましたが、太陽という雑誌に
よると、日本発の流行歌は川上音二郎による、オッペケペー節なんだそうです。
また、舞台の上で初めて歌ったのは、松井須磨子で、復活の劇中に、カチューシャの歌を唄った
そうです。で、日本初のレコード歌手は、ドンとドンとドンと波乗り越えての、佐藤千夜子です。
NHKの『いちばん星』で、彼女を演じていた高瀬春奈が途中降板し、その代役で出てきたのが、
五代路子でした。
当時、高瀬春奈の、ほんわかとしたイメージから、突然、とんがったイメージの五代路子に代わって
しまって、とても残念に思ったものでした。
一説によると、春奈さんは、ロケのストレスで、過食に走り、テレビに出られる体型で無くなったという
ことでしたけど、本当のところは本人しか解らないです。
厳密に流行り歌とすれば、宮さん宮さんお馬の前で という明治元年に作られたトンヤレ節になるのだ
そうですけど、これは明治維新の官軍の軍隊行進曲に歌詞を載せた、というのが正しいそうです。
流行り歌も然ることながら、春になると、梅から始まり桃から桜へと、まさに花尽くしの浮かれ気分で、
柳橋から小舟で急がせ 舟はゆらゆら棹次第♪ よろしく、昔々の戸塚の柏尾川や、磯子の中村川では、
川面に舟を浮かばせて、両岸の花を楽しんだようです。
特に柏尾川の川べりの一角には、遊郭が並び、その遊郭の遊女を連れた旦那衆とで、
とても華やかな花見舟だったと、
30年以上も前に、当時の様子を知るお年寄り達から聞いたことがあります。
十数年前までは、駅東口の川縁付近に、その遊郭の名残の店がありましたけど、再開発計画で完全に
消えてしまいました。
また、当時を知るお年よりも、既に皆、黄泉の世界に旅立たれたお年頃です。
時節とは無粋なものです。
無粋と言えば、花を散らすのは風。
今日はその風の先駆けの、春一番が吹くという予報が出ているそうです。
春一番とは、アントニオ猪木の真似をする人のことではなく、気象用語で、立春以降に初めて吹く、
強い南風のことです。
『低気圧が日本海を発達しながら通るときに吹き、その風は台風並みで、全国的に天気は大荒れとなる』
のだそうです。
この、春一番、という名の発祥の地である壱岐に残る由来はとっても悲しいものなのです。
長崎県壱岐には、本名を五十三霊得脱之塔といい、通称、春一番の塔、というものがあります。
「気象の事典」というものによると「安政六年(1859)壱岐の漁師五十三人が強い突風で遭難して
から漁師の間で春の初めの強い南風を『春一』とか『春一番』というようになったそうです。
そして、この地域では今でも、旧暦の2月13日に、53名の冥福を祈るために、どんなに晴れていても
漁には出ずに、お祭りをするのだとか。
春一番の塔で検索しますと、自然を畏れる気持ちを伝える と書かれていました。
浮かれ気分で花見をして、花屑ならぬごみ屑を散らかしたり、木の枝を折ったりするなど、
自然への畏敬の念を忘れると、やがて花も咲かない春を迎えることになるかもしれません。