
関東では今日、2月8日を針供養の日とし、関西では、納めの日として、12月8日に、行われます。
そのことに関して、三重歳時記という文章の中に、このようなものを見つけました。
『十二月八日は太平洋戦争の開戦の日である。この日は事納めの日でもあった。昔、中部以西の各地では、この日を一年中の事納めの日として、餅をつき、麦飯を炊いて祝った。いわば国家の運命をかけた戦を、その国の伝統上事納めの日とされている日に始めたことにも、この戦争の不幸な結末が予想されていたといえよう。納め八日ともいわれるこの日、伊勢市を中心とする南勢、志摩の各地では、「猫も三文」と呼ばれ、赤飯などで祝う習慣がいまなお残っている。
また、この日は針供養の日でもある。地方によっては、針千本(河豚の一種)が海岸に吹き寄せられる日であるとも伝えられ、針供養にちなむ行事が各地でとりおこなわれている』
この文は、『関東では二月八日であるが、これは事始めの日である。仕事はじめの日にあたって針に感謝するという意味であろう。仕事納にあたって針の労をねぎらうというのが関西の針供養であるが、日こそちがえその意味するところは同じである。』と続いています。
同じ日本でありながら、終わりの日と、始まりの日、と、全く対照的な形で行われている針供養に、
その地域の持つ文化の違いを深く感じます。
そしてその根底にある、日々の生活(タツキ)の中で欠かすことの出来ない針に感謝する、
という気持ちが同じであるという事にも、感慨を深くします。
針といえば、私の姉はとても運針が上手で、中学校時代、家庭科の先生から、運針については、
姉に直接習うようにと言われました。
姉は、中学生の頃、既に他の生徒に教えるほどきれいな運針が出来たそうで、お陰で私は、
中学三年間、家庭科は五段階の五を頂き、そのお陰で、今でも縫い物が好きです。
俳句の季語集には、今日は、淡島神社に行き、豆腐に針を刺して供養する、ということと、
何故か蒟蒻や風呂吹き大根を食べる風習があると書かれていました。
が、何故今日が針供養の日であるかは、生憎見つかりませんでした。