私たちにとって「ありえないこと」いつもと想定外の世界観は意識を広げて(元に戻して)いく
あと、おバカになってみたりするのって今結構重要というかポピュラーというか
頭を緩めると新しい価値が入れる
緩むと世界観は広がる
宇宙スタンスというものがあるとすれば
地球スタンスはその真逆のようなもので
本当におバカをやって笑っていた方が本来の自分に出会う近道だったりします
現実がすべてではない、見えてるものが全てじゃないことが腑に落ちて行くと現実に振り回されなくて楽になる
現実のほつれの様な体験を垣間見たりしながら新しい時代に「慣れていく」準備が全体的に進んでいる感じです
多くの人が「いつもと違う」体験、体感をし始めそんな話を聞いたりして自分にも似たような記憶がでてきたりするもので。(自分が自分へ情報をひきよせる)
これから地球が多次元化していく準備の真っ只中、今まで「みえたものだけが全て」だと思ってきた私たちは広い世界にビックリしちゃうから。キャパシティを広げる流れなんです。
地球は鎖国状態をやめる
日本の歴史を重ねてみると、
鎖国をやめてから一気に色んな国との交流が広がり、多様な文化を受け入れて融合していきましたよね、新しい文化を創りながら。和の柔軟性。
開国する狭間に色々摩擦や葛藤があったように
私たちは開国の準備中です。
子供の頃は何度かUFOの瞬間移動をみました。
あと光をみていましたが
当時の印象的なことは、自分がいる空間すべてが光の砂嵐のようになっていて、現実も光が重なり一緒にいた祖父がその中にいながら普通に過ごしていたことです。体操座りで水戸黄門をテレビでみていました
高校生のときは体外離脱で自分を部屋の上の方から見ていました。しばらく自分の顔や全身を観察した。観察側の私は意識でした。
フォーカスすると空中を移動し私の体に近づいていきました。
部屋の全ての状態を把握でき、そのまま自分の体にドッキングしようと思い、カウントダウンをしながら体に戻り目を開けて肉体を不思議にみつめました。体とのフィット感を確かめながらホッとしました。
「私」が肉体そのものではないということを深める体験の1つで
肉体から離れて自分だとおもっていたものを見ているということは、私は肉体そのものではないということです
夫は3年前位の時期に体外離脱の頻度が多かったと思います。違う部屋にいてエーテル体で私のところに来たりしてました
私とは、、
現実だとおもっていたものは、、
少しずつ広がりをもっていきました
必要なときに自分への気づきに繋がっていくんだなという感じでいると一喜一憂しなくていいかなとおもいます
誰の中にも想定外の出来事の記憶ってあると思います。感じた感覚など忘れているだけかもしれません。必要な時に何か思い出しては、今のタイムラインでの解釈ができ、点と点が繋がって行くのだと思います。
少しこの内容をつづけます
関連記事