べグラム遺跡の次は…
アフガニスタン流出文化財です。
ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した1979年12月以降、ムジャヒディーンと呼ばれるアフガニスタン国内抵抗勢力がゲリラ活動を展開し、1989年2月にソ連軍を撤退させたものの各地の勢力間の主導権争いが始まり、内戦は激しさを増して行きました。カブールのアフガニスタン国立博物館は1993年5月のロケット砲の攻撃等により建物や収蔵庫にも甚大な被害が及び、関連図書や写真資料等も焼却され、収蔵品の破壊や略奪も繰り返され、管理の手の及ばなくなった各地の遺跡から様々な作品が国外へ不法に持ち出されました。その傾向に拍車をかけたのは、イスラム原理主義勢力タリバンによる偶像破壊令と2001年3月のバーミヤン石窟の東西大仏を始めとする大規模な文化遺産の破壊でした。
アフガニスタンから国外に流出した文化財が日本にも運び込まれている事を知った平山郁夫氏はその保護活動を推進しました。平山郁夫氏はシルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家ですが、ユネスコ親善大使でもあり、ユネスコ総会で「文化財難民」と位置付ける事を提唱し、合意を取り付けました。再びアフガニスタンに平和と安定が取り戻される迄の間、日本で流出文化財を保護するため、彼は2001年に「流出文化財保護日本委員会」を設立し、その趣旨に賛同した人々から同委員会に譲渡された文化財の数々は平山郁夫シルクロード美術館と東京芸術大学に大切に保管されて来ました。東京芸術大学は、バーミヤン石窟とフォラディ石窟(広い意味でバーミヤン石窟に近いそう)から切り取られた壁画片42件について技法的な調査研究と同時に保管と展示に必要な保存修復を施しました。
黄金のアフガニスタン展開催に当たってアフガニスタン政府から委員会が保管する流出文化財の返還が正式に要請された事を受け、委員会は流出文化財の返還を決定しました。この間、流出文化財は何とかアフガニスタンに返還されましたが、返還された102件のうち15件が展示されています。ほとんどが仏教美術ですね。平山郁夫氏のアイ・ハヌム遺跡とバーミヤン石窟を描いた作品も展示されています。
アフガニスタン流出文化財のコーナーで展示スペースが終わり、再び鈴木亮平さんが映像と音声で登場し、黄金のアフガニスタン展の終わりを告げると、作品観賞も終わりです。
それでは、土産物コーナーに行きましょうか。