ティリヤ・テペの次は、そこから南東の、紀元後1~3世紀にかけて北インドから中央アジアを支配したクシャーン朝の夏の都(では、夏以外の季節のクシャーン朝の都は?気になって仕方ありません。)べグラムへ。
クシャーン朝の人物では、2世紀に最も強勢を誇ったカニシュカ王が有名ですが、この遺跡もちゃんと発掘調査がされています。主にフランス隊がしていましたけどね。1936年から1946年にかけて行われましたが、この時期はフランスは大変な事になっていた(はい、ナチス関係です。)にも拘わらずです。べグラム遺跡では、出入口を日干し煉瓦で封鎖された2つの建物の部屋からシルクロード交流の精華である宝物がきっちり素材や種類毎に分類して整然と置かれた状態で発見されました。クシャーン朝も地中海世界や中国やインドと大いに交流していましたからね。7世紀にこのべグラムに立ち寄った玄奘三蔵もこの様を書き留めている程です。当時はクシャーン朝からカーピシー国になっていましたが。
べグラム遺跡の出土品もなかなかユニークですが、同時にいい仕事しています。象牙の彫刻は一本の象牙から手の込んだ古代インドの匂いのする仕事をしていますが、一方で本生絵(釈迦の前世の話を描いた絵)は棟方志功かと突っ込みを入れたくなりますし、ガラス製品の数々は古代ギリシャ・ローマの匂いをさせながら遊びがあります。遊びがあるのは青銅製の魚の装飾付きの円盤もそうです。円盤の中央にゴルゴンあるいはメデューサが顔を見せていますが、その周りは魚達が泳ぎ回っています。円盤の底にいくつもぶら下がっている錘で尾びれが動く仕組みです。他の生活用品や彫刻にしても遊びがありますが、どれも地中海世界や中国やインドの匂いがします。
しかし、私としては、べグラムの2つの建物の第10室と第13室のうち、第13室で発見された石膏メダイヨンの数々が気に入っています。どれも古代ギリシャの匂いのする実にいい仕事していますし、その一つが某火災評論家に似ているからですよ。顎と首と肌の色艶がやけに似ています。ひょっとしたら本当に本人かもしれません。今度、本人に会ったら確認しようと思っています。それにしてもクシャーン朝の王宮の人々は遊びも文化もある生活をしていたようですね。
べグラムの次は…