シルクロード日帰り旅行? その3.5 | Mona Khalifaのブログ

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アイ・ハヌムの次に行く前に、この遺跡について補足説明を。
アイ・ハヌムはフランスのベルナールなる人物がチームを組んで正式に発掘調査をしていますが、1961年にアフガニスタンのザヒル・シャー国王が狩猟の最中に石灰岩の彫刻を見つけたのがそのきっかけだそうです。尚、1971年には当時の皇太子同妃両陛下、つまり現在の天皇皇后両陛下がアフガニスタン訪問の際にアイ・ハヌムを視察されているとか。
では、アイ・ハヌムの次の遺跡へ。その遺跡はアイ・ハヌムからやや南寄りに西に行きますが、地元のウズベク語で「黄金の丘」を意味するティリヤ・テペです。ティリヤ・テペは元拝火教神殿の西側部分に紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけて営まれた遊牧民の王族達の墓で、10代から40代の女性5人と背の高い男性1人が6つの墓に1人ずつ埋葬されていました。この遺跡は1978年のロシア(当時はソ連でしたが)のサリアニディなる人物の発掘調査によって2万点を超える金製品が出土しましたが、いくら墓に階層差があるとは言っても、どの墓も光り物祭り状態ですからね。因みに、これ等の光り物は表慶館入口のパネルの写真に全て写っているものと同じです。何と言っても黄金のアフガニスタン展の目玉ですし、バクトリアの秘宝として世界的にも高く評価されています。
光り物は大好きですが、よく見ればギリシャやローマ、スキタイにパルティアやインドや中国の影響や交流がわかります。下手すると韓国や日本との関連も見えて来ます。6号墓の20歳程度の女性の金冠がその一例です。時代も国も違うけれど、朝鮮半島の三国時代や日本の古墳時代の匂いがします。その一方で、4号墓の男性の短剣の柄の葡萄の蔓をくわえた熊に5号墓の10代の未成年の女性のハート型耳飾り(まぁ、ピアスですね。)はなかなか可愛いです。現代でも十分通用するデザインです。ハート型は1号墓の20~30代の女性や2号墓の30~40代の女性、3号墓の女性(遺骨の状態が悪かったため、年齢ははっきりしていないようです。)や6号墓の女性の光り物にもあります。そう言えば、日本ではハート型は昔は猪目と呼ばれていたと聞いています。ところで、今年7月18日の北野工房のまちで棟梁と話した際にティリヤ・テペの光り物の数々が写っている黄金のアフガニスタン展の図録を見せた所、棟梁に光り物趣味を指摘された事は言う迄もありません。この図録については後で改めて話します。
ティリヤ・テペの次は…