それではいよいよ黄金のアフガニスタン展の展示品を見に行きます。
この展覧会は展示品の出土した遺跡によって何章かに分けられていますが、まず最初はアフガニスタン東北部の遺跡テペ・フロールから。この遺跡は紀元前2100年から同2000年頃の青銅器時代の遺跡で、1966年に地元の農夫が偶然に金銀器を発見した事で存在が明らかになったものの彼等がこれ等を公平に分配するために斧で叩き割ったとか。しかも、正式に発掘調査をしていないものですから、遺跡の実態は全くわかっていないそうです。展示品も斧で叩き割ったのが見るだけでわかってしまいますが、展示品の金器の形や装飾紋様を見ると、メソポタミアやインダスとの文明交流があった事もわかります。
次はテペ・フロールから北に行き、アイ・ハヌムへ。紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の東征によって建設されたバクトリアのアレキサンドリアです。本来の都市名はアレキサンドリア・○○(ローマ時代の地理学者プトレマイオスが伝えた「アレキサンドリア・オクシアナ」に比定する説が有力)のはずですが、本来の名前が失われて久しく、今は現地のウズベク語で「月の姫」を意味するアイ・ハヌムの名前で呼ばれています。
アイ・ハヌムは宮殿や劇場を備えたギリシャ人の植民都市ですが、建築や出土品にはアナトリアやペルシャやインドの影響が見られます。まさにヘレニズム世界の都市と言えます。展示品はどれも興味深いものばかりですが、私に取って最も興味深いのはアイ・ハヌムの英雄キネアスの廟から出土した石碑の台座の古代ギリシャ語(古代ギリシャ語と現代ギリシャ語はまるで勝手が違います。念のため。)の一句ですね。この一句はデルフォイのアポロン神殿にあったとされる古代ギリシャの七賢人の格言をクレアルコスなる人物(キプロス島のソリ出身でアリストテレス派の著名な哲学者クレアルコスと同一人物と見られるらしい。)が書き写し、これを石碑としてキネアス廟に立てたそうです。この一句、
「幼き者は行儀良き者となり
青年とならば自制知る者となり
壮年とならば正義知る者となり
老年とならば良き助言者となれ
さすれば汝、悔いなき死を得ん(碑文の内容は、前田耕作「グレコ・バクトリア王国の美術」前田耕作、田辺勝美編『世界美術大全集』東洋編15・中央アジア15、121-126頁、小学館、1999年による)」
な内容だそうです。
アイ・ハヌムの次は…